主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、士師記の8章です。よろしくどうぞ。
士師記 8章23節
私はあなたがたを治めません。また、私の息子も治めません。主があなたがたを治めておられます。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
ギデオンは聖書の登場人物の中でも屈指の名将と呼べる人物です。イスラエル人の脅威となっていたミディアン人を退けて民族を救いました。そこでイスラエルの人たちはギデオンに「代々にわたって、あなたが私たちを治めてください」と願いました。つまり自分たちの王になってくれと願ったわけです。しかしギデオンはこれを断りました。「私も、私の息子も子孫も、王になることはありません。皆さんの王は神様だけです」と。
僕たちは現代社会において「王になってくれ」なんて言われることはないでしょうけれど、突然思いもかけない重大ポストに抜擢されたりすることはあるかもしれません。そのときに、そのオファーを断ることはなかなかできることではありません。もちろん、そのオファーを断ることが常に良いことではありません。ありがたく受けるべきオファーもあるでしょう。一方でたしかにありがたい話ではあるけれども、受けるべきではないオファーだってあります。地位じゃなくてもお金だとか魅力的な異性だとか高級焼肉だとか、様々なものがあります。それらはどれも目の前に置かれたら心が揺らぎます。
目の前に望むままの富や名誉や権力や快楽が置かれている。置かれているどころか、それが自分に差し出されている。その時にそれを受け取らない勇気。誘惑に勝つ克己心。ギデオンという人物の真髄はその武勇だとか功績だとかではなく、この点にこそあります。「据え膳食わぬは男の恥」なんて言葉がありますけど、僕はむしろ「据え膳食わぬこそ男の誉れ」と思います。据え膳を片っぱしから食ってしまうなら、相手にとってこれほど都合良く扱いやすい人もいないでしょう。接待やハニートラップであっさりと手玉に取れてしまうということですから。
高級焼肉は食べたい。食べさせてくれると言うのならもうすぐにでも飛んでいきたい。しかし、人には食べるべき焼肉と、食べるべきでない焼肉があるのです。その見極めはしっかりとしなくてはなりません。そうじゃなければ、次に焼かれるのは肉じゃなくて自分かもしれません。目の前の高級焼き肉を見極める眼力、そして断る度胸。さらにはそこからおとなしく家に帰って質素な食事をいつも通りに食べる覚悟。人には誰しも、これらが必要です。
・・・書いてたら焼肉が食べたくて仕方なくなりました。神様、食べていい焼肉を与えてください。そんなに高級じゃなくてもいいです。牛角とかでいいです。できればホルモン系のおいしいところがいいです。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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