法律よりも律法を重んじるべき? 大島有紀子 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】

Q.教会やキリスト者は、この世の「法律」よりも神の「律法」を重んじるべきではありませんか?(60代・男性)

この世の法律の一専門家としては、以下のように考えます。

憲法は、この世の法律ですがその憲法が保障する人権規定は「人類の多年の自由獲得の努力の成果」(憲法97条)であって、それは神の賜物であります。ですから、このような人権とこれを守るための手続きは教会においても尊重されなければならず、教会であるからと治外法権のように、その権威をかざしてこれを無視することはでききません。

他方で、現実の社会では、法律が人々に義務を課しても、それに従うことが信仰上の義務と抵触することがありうるでしょう。たとえば、神以外のものを神としないという信仰によって「君が代」の斉唱や伴奏を拒否して不利益を受けている人々がいます。良心的兵役拒否や、軍事費の支払いを拒否する人々は、殺すなという戒めを法律に優先させているわけです。教会の懲戒規定には、たとえ刑事罰を受けてもそれが信仰上の理由の場合は例外とするという規定が設けられているのが一般的です。これは信仰上の義務が現行の法律やその運用に違反することがあることを示しています。

ところで、イエスです。当時の権力の課する義務である納税について取っていたイエスの態度には、ローマの人頭税に対してのみならず、神殿税に対しても興味深いものがあります。マタイは、神殿税を納めることを求められたイエスが、漁で取った魚の口の中から出てくる銀貨で払うように言ったと記しています。わたしは、モーセが神から受けたという律法の名のもとに、当時の人々の生活に重くのしかかっていた神殿税に対してイエスは「額に汗した労働の対価をもって納めるには及ばない。魚の口から銀貨でも出てくるように降ってわいたお金があったらそれで納めたら」と皮肉を言ったのではとひそかに思っています。

イエスが問い続けたように律法も人々の幸福のための神の祝福であるはずです。神の支配のもとにあるこの世の法律も同様に問い続けられなければと思います。

*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。

おおしま・ゆきこ 弁護士。1952年東京生まれ。72年受洗。中央大学法学部卒業。84年に千葉県弁護士会へ登録。渥美雅子法律事務所勤務を経て、89年に大島有紀子法律事務所主宰となり現在に至る。日本基督教団本所緑星教会員。

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