看護師離職率激増、チャプレン出動 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第12回

この日、私は九州の総合病院で看護師たちを対象とする研修会の講師として呼ばれていた。与えられたミッションは、「コロナパンデミックの中で、燃え尽きてしまった若手看護師たちをケアしてほしい」というものであった。

病院付き牧師・チャプレンにとっては患者さんのケアだけでなく、医療従事者のケアも重要な任務である。特に対人援助者は、実際の人を相手にする中で、さまざまな心理的負担を負う。介護の中で患者からの暴言や、家族からのクレームを受けることもある。

特にこのコロナパンデミックの中で自分がウィルスを院内に持ち込んでしまい、クラスターが発生。患者さんが亡くなってしまうケースだって少なくないのだ。「こればかりは仕方がない……」と周りは慰める。けれども、自分、しかも対人援助者である自分が原因となり、病院で相手が亡くなってしまうのだ。この罪責感は重すぎる。大混乱の最前線で闘ってきた人々が、誰よりも自分を責めているのだ。

しかも新人看護師たちはコロナパンデミックの中で、十分な実習ができず、現場で初めて人の死を経験する者も多い。外食や旅行もなんとなく禁止の雰囲気。同期の仲間と親しくなる機会もほとんどなかった。3年間、極限の中で院内に立ち続け、コロナの落ち着きと共に緊張の糸が切れ、精神を病んでしまったり、離職してしまったりする人々が多いのだ。

私に声をかけてくれた医院もそのような状況下にあった。提携しているカウンセラーと全員面談をしてもらったが、効果がなかったのだという。だとしたら、私が半日程度、何かしたところで事柄が改善するはずはない。けれども、何かしなくてはという現場の切迫した危機を感じ、私は九州に飛んだ。

部屋に入ると自分よりもかなり年の若い看護師たちが15名ほど。みんな疲れ切っているし、「どこの誰か分からない〝チャプレン〟と名乗る牧師の話を、午後丸々聞いている暇があったら、病棟の仕事を終わらせて早く帰りたい……」。そんな雰囲気を感じ取ってしまい、怖気付く。

「ストレスマネジメント」「セルフケア」云々の資料は用意してきたが、それらを傍に置いて、香港の山奥で習ってきたメディテーションをしようと頭を切りかえる。「皆さん、ちょっと目を閉じてゆっくり息をしてください。時間を数えず、でも3分経ったと思ったら手を上げてください」。静かな時間が流れる。何もせず、何も言われない静寂の3分間は実は長い。ある人は1分半の時点で手を上げた。そして、ほとんどの人が3分経つ前に手を挙げた。

「皆さん、ありがとうございます! 皆さん、本当にお疲れだと思います。心の時計、電池が切れる寸前ではないでしょうか? 大丈夫、今日はナースコールも上司からの指導もありませんし、私も皆さんに何かを教えたり、洗脳したりもしませんので……」と伝えると、やっとマスクの上の目が笑ってくれた。

ここから自己紹介タイム。「普通にやってもつまらないので、可能な人は初恋の思い出を話してください」と勧める。「幼稚園の時に好きだった子のインスタを見たら、メチャクチャイケメンになってた!」「恋するの疲れるので推しのアニメキャラで十分!」と、次々にZ世代らしいことを言ってくれる。まったく仕事と関係のないようなことだが、交流会や飲み会などがまったくない状況で3年続いていたので、互いのことを話す機会そのものがなかったのだ。

もちろん、上司たちはこのような状況で皆が必死にやっていることは痛いほど分かっている。けれども、上司・部下の関係の中では打ち溶ける限界がある。仕事のことを相談しても、どうしてもできないことへの指示になってしまう。指導、指示は不可欠。けれども同時に必要なのは、「指示」ではなく「支持」なのだ。「もう辞めたい!」「もうこんな過酷な状況に耐えられない!」「私は向いていない!」というありのままを、それでも「支持」する存在が必要なのだ。

それをできるのが第三者であるチャプレンなのではないかと、私は信じている。医療従事者だけでなく、対人援助、つまり人をケアするという答えのない世界で働くすべての人に、支持者が必要なのだ。

*個人情報保護のため、所属病院のガイドラインに沿いエピソードは再構成されています。

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