その地方で羊飼いたちが野宿しながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
ルカ2章8節(参照箇所同書2:8〜21)
クリスマスには、だれにとってもなじみ深い羊飼いは、特別に選ばれた人々の代表であるかのように見えますが、ユダヤ社会では町や村のどこででも見ることができる見慣れた人々でした。ルカが羊飼いを登場させたのは、救い主は何も特別な人を選ばれたというのでなく、普通の人である彼らが、羊の番という日常の営みの中で救い主降誕の出来事を知らされるのであり、その出来事の告知の担い手となっていることを知らせたかったのでしょう。
それは、今日わたしたちが教会の礼拝で救い主について聞くのと少しも変りません。わたしたちは、特別な資格や条件を持ちません。サラリーマンであり、家庭の主婦であり、学生であり、年金生活者です。いわば現代の羊飼いとして日常の生活を抱えて教会の礼拝に参加しています。そのわたしたちにベツレヘムの野でかつて羊飼いが聞いたと同じ、「大きな喜び」(10節)を天使である牧師から聞くのです。
その意味からすれば、毎週の礼拝はベツレヘムの夜の再体験なのです。天使は救い主誕生を告げ、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(14節)と賛美します。同じように、わたしたちもまた礼拝で主を賛美するのです。