マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。
ルカ2章6〜7節(参照箇所同書2:4〜7)
家畜が餌を食(は)む飼い葉桶が救い主のゆりかごとなるミスマッチに深い意味を持たせているのです。「初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」とは、さりげない描写のようでありながら、これをルカが救い主の出産にふさわしい情景であるとして書いたとは思えません。ルカは、三度にわたって飼い葉桶を取り上げました(7、12、16節)。飼い葉桶が幼子イエスのゆりかごとなるミスマッチを敢えて強調することによって、救い主はまさかと思われるところにいますのだと言いたいのです。
ルターは、「聖書はキリストが横たわる飼い葉桶である」と言います。それは、聖書のどこを開いても救い主はいますということであると同時に、まさかこんなところにと驚きも目をもって、聖書の中に救い主を発見することでもあるのです。聖書の中で、まさかと思う最たるところは、人間の罪の世界であるといってよいかもしれません。それこそ、救い主を入れるのは最もふさわしくないゆりかごです。しかし、罪の中にこそ救い主はおいでになります。それによって、わたしたちは救いのわざに入れられたのです。