この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
ヘブライ人への手紙4章15節(参照箇所同書4:14〜5:10)
キリストは神と人との間をとりなし、その間に和解の道筋をつくってくださったお方である、それこそ祭司の役目を果たしてくださったのであるという信仰は自然の思いだったでしょう。しかし、祭司は聖別された存在であり、ましてキリストは祭司中の祭司ともいうべき大祭司であるともなれば、ますます近づき難いお方になってしまう、そうではないと手紙の著者は言いたいのです。
大祭司であるキリストは、人から遠いお方ではない、人に最も近いところにおいでになる、それは人の弱いところであると著者は思ったのです。「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、・・・」と言います。大祭司キリストは、弱さの中で呻吟(しんぎん)している人間といっしょに、自らも弱さを共有しておいでになるということです。
最も遠いところにいるはずの大祭司キリストは、人が自分を最も近く感じる「弱さ」の中においでになる、それこそがキリストに近づくのに最もふさわしいところであるとヘブライ人の手紙の著者は教えているのです。