熊本県人吉市の城跡で見つかった遺構「謎の地下室」が、再び話題になっている。「人吉新聞」「朝日新聞」などが報じた。事の発端は25年前、用途不明の地下室の発見だ。カクレキリシタンの遺構ではないか、との声も郷土史家から寄せられたが、人吉市教育委員会は根拠に乏しいと慎重な姿勢をみせた。
今回の話題再燃は、この「謎の地下室」をめぐるシンポジウム開催の報道である。郷土史家らによれば「ユダヤ教の身を清める沐浴施設ミクヴェ」とのことだが、実際にはどうか。
ユダヤ思想・文献学者の手島勲矢氏(京都大学非常勤講師)は「ミクヴェ」認定には構造が必要だと語る。
「ミクヴェには決まった構造があります。一般的な浴槽や水浴び場では駄目です。たとえばイスラエルで発見された遺構がミクヴェとして認定されるためには、いくつか条件があります。まず必ず、自然水の流れ込みでなくてはなりません。次に、その自然水を引く溜池があります。さらに、その溜池から沐浴用プールに水が注ぐようになっています。この構造が室内で確認されると、ミクヴェとして認定されます。いわゆる生活用水の溜池と、聖性のためのミクヴェは構造において区別されているんです。もちろん幾通りかの作り方があります。歴史的な可能性として、キリシタンの洗礼プールだという意見にはロマンを感じますが、ユダヤ教ミクヴェであるためには、これらの構造が確認されなくてはなりません。イスラエルから考古学者を招けば、より確実な検証ができるかもしれません。死海文書の発見地クムラン洞窟のミクヴェにも同様の構造が確認されています」
また旧約聖書の研究者、山森みか氏(テルアビブ大学東アジア学科日本語主任)は、「ミクヴェ」の宗教的意味と機能について指摘する。
「沐浴といえば、風呂のように思うかもしれません。しかしミクヴェは祭儀的清めに必要な場所です。主として女性が月経、出産後に夫との性関係に戻る前、あるいは結婚前に全身で水に浸かり、清める目的で使う場所です。または異教徒がユダヤ人に改宗した際に、または異教徒より購入した食器の清めのために、ミクヴェは使用されました。つまり、ミクヴェには、ユダヤ教にとって明確な意味と機能がありました。したがってユダヤ人の家族共同体の存在が前提されていなくてはなりません。類似だけでは何とも言えませんし、ユダヤ人にロマンを見出す心性は問題があると言わざるを得ません。しかし、もし人吉城下にもユダヤ人共同体があったなら、それは興味深い話ですね」
人々の耳目を集める熊本の遺構「謎の地下室」は、人吉城歴史館にて見学できる。観光サイトには、スペイン・ジローナ県のユダヤ教博物館展示の中世ユダヤ教ミクヴェと酷似との書き込みも確認できる。またインターネット上では、青森県新郷村の観光資源「キリストの墓」や都市伝説「日ユ同祖論」と重ねて語る向きも見られた。日ユ同祖論とは、イスラエルの失われた十支族に日本人の起源があるという珍説だ。同説は、16世紀のペドロ・ホレモン著『日本中国見聞録』にて「そんなことは断じてあり得ない」と言及されており、古くから人々の興味とロマンを刺激したことで知られる。現在でも「カタカナとヘブライ語が酷似しているから、日本人とユダヤ人は同一起源だ」という奇抜な意見がネット上で散見される。また青森県の「キリストの墓」は戦前に偽書「竹内文書」を元にして造られたもので、後に観光資源となった。関連書籍によれば、キリストの妻の名は「ユミ子」だという。
なお、人吉・球磨地方は歴史的には仏教文化圏として知られている。また肥後人吉藩主・相良氏はキリシタン大名ではない。同地方は、むしろ浄土真宗と日蓮宗への禁制と「隠れ念仏」のあった土地として知られる。
はたして人吉城跡「謎の地下室」は、ユダヤ教ミクヴェなのか。または単なる貯水槽なのか。同シンポジウムは、9月24日午後1時半~4時、人吉市カルチャーパレス小ホールで開催。東京大学などのキリシタン研究やユダヤ学の専門家らが、厳密な学術的観点から人々の興味とロマンあふれる疑問に答えることになる。人吉市の牛塚孝浩氏(市議会議員)はSNSなどで「午前10時より地元学生らとの交流会も予定(人数制限有)」と参加を呼びかけている。
郷土史最大の謎、人吉城地下遺構は何のために造られたのか?!
「人吉城地下遺構の謎にせまる!シンポジュウム」
https://www.facebook.com/events/610431407284820/
人吉城歴史館
https://www.city.hitoyoshi.lg.jp/q/aview/95/249.html
(本紙関西研究室研究員・波勢邦生)