サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」
サムエル記上3章10節(参考箇所同書3章1〜21節)
祭司エリの下で育ったサムエルが預言者として召されるときのことです。サムエルは神の箱が安置されている、神殿で寝ていたと聖書にあります(3節)。神の召しは当人の知らないところで起こるものです。神の召しにはあらかじめ心備えをするということがありません。わたしたちがキリスト者として召されるとき、あるいは伝道者として召されるとき、あらかじめ心備えをすることがあったでしょうか。
サムエルはまさかと思いつつ、「どうぞお話しください。僕(しもべ)は聞いております」と言います。神の召しを受け入れるためには、ただひたすら語られる神の言葉を「聞く」ことが求められます。パウロは「信仰は聞くことにより、しかもキリストの言葉を聞くことによって始まるのである」(ローマ10章17節)と言います。言い換えれば、心を貧しくすることに他なりません。わたしたちの側にあらかじめ神の召しに対して準備することがあれば、「あなたの召しにふさわしくなるように、これこれのことをしました」と何か語りたくなるかもしれません。
召しは突然です。準備をすることを許してくれません。「僕は聞いております」としか言いようがないのです。