わたしの父であり、あなた方の父である方、またわたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る。
ヨハネ20章17節(参考聖書箇所同書20章11−18節)
マグダラのマリアが復活の主と出会い、懐かしさのあまりすがりつこうとしたところ、イエスは「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」と言われ、その後に、弟子たちに伝えるようにと、託されたのがこの言葉なのです。「わたしにすがりつくのはよしなさい」とは不思議な言葉ですが、信仰は肉的な情的な関係ではないことを教えられたのでしょう。
わたしたちは、肌の触れ合いや情感の通い合いに関係の確かさを求めるものです。しかしながら、そのような人間的な関係で主イエスを信じる信仰を確かにしようとするなら、信仰は地上的となり、肉的となります。
主イエスを信じる信仰は、時空を超えた普遍的なことです。それを知るには、なによりも復活の主御自身が、地上で時間と場所に限定されるお方でないことを知らねばならないのです。「父のところへ上る」とは、礼拝の度に告白する使徒信条の中の「父の右に座す」キリストを思い起させます。主は神と等しい方であって、いつでもどこでも崇められ、礼拝される存在であることを知るようにとの信仰を、この言葉を通してマリアに託されたのです。