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「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。」(創世記2章3節)これを受け、十戒の第三戒で次のように規定されている。「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。」(出エジプト20章8~10節)敬虔なユダヤ人は今も誠実にこの戒めを守り生活している。金曜日の日没から始まる安息日は、旅行はもちろん、車に乗らず、料理も作らない。耕すこと刈り入れること、火を焚くこと等仕事も禁止される。電気の仕様も禁止されているので、この日はスマホやインターネットも禁じられる。「ユダヤ人が安息日を守ってきたのではない。安息日がユダヤ人を守ってきた。」のだという格言があるくらいなのだ。戒めがあるからというよりも、その日に体と精神を休めるのが最善と受け止めているからこそ、一週間の内の一日を大切にしているのである。行動は制限れさるが、自分を、そして家族や友人との絆を取り戻す時なのだろう。(参照:イスラエル・ユダヤ専門ミルトス、GLOBE+「君たちはどう休むかーユダヤ教の『安息日』が得た現代の意義」等)
「行動制限とずっと言われ続けているけど、行動だけが制限されているんじゃない。人生制限されているのと同じなんだ。まさに飲食の人たちって今そういう状況に置かれている。」(1月28日テレビ朝日「朝まで生テレビ」での東京都立大学教授谷口功一氏の発言)行動を制限する(される)ことによって、私たちの日常から様々なものが奪われてしまった。だからこそ「人生制限」という言葉にはうなずける。「安息日を厳格に守るユダヤ人も生死にかかわる問題は安息日に優先するという結論を下している」(前述「ミルトス」より)が、コロナウィルスの対応も少しずつ解明され、また治療薬の開発も進んでいるのだから、今後は「人生を制限」された人々、特に子どもたちに目を向け、行動は制限しても人生の制限になるようなことは避けるような道が与えられることを願わずにはいられない。
ちなみにキリスト教においては、イエス・キリストの十字架の死と復活によって安息日を含む律法は「成就した」と理解してきた。だから私たちは「主の日」に礼拝を守るが、その日が「ユダヤ人の安息日に変わった」ということではない。主を覚えて心に平安をいただき、次の働きのために体を癒(いや)す、そんな主の日を過ごしたい。