今日10月7日はミステリー記念日です。1849年のこの日、ミステリー(推理小説)の先駆者といわれるエドガー・アラン・ポーが亡くなったことに由来。ポーの『モルグ街の殺人』が世界初の推理小説と言われています。
「ミステリー」を『新明解国語辞典』で引くと、最初に「神秘。不思議」とあり、次に「推理(怪奇)小説」と説明されます。ウェブ英和辞書「英辞郎」ではそういった意味のほかに、「《キリスト教》〔神の啓示により伝えられる人智を越えた〕神秘、秘跡、奥義」といった意味もあります。『ランダムハウス英和大辞典』を開くと、「神の啓示による以外には知るすべのない真理」と書かれています。
キリスト教会でも歴史あるカトリックや正教会では「神秘」「奥義」は大切にされますが、16世紀のルネサンスから生まれたプロテスタントでは、どちらかというと聖書の知的・合理的な解説に留まりがちです。確かに現在では「しるしと不思議」といわれる奇跡は目にすることがほとんどありませんし、科学が進んだ時代の子である私たちは、ある意味で歴史的に特異なかたちで信仰を捉えているのかもしれません。
しかし、「神の国の奥義」(マルコ4:11、新共同訳「秘密」、聖書協会共同訳「秘儀」)をはじめ、「ミステリオン」(μυστήριον)という言葉は新約で27回も使われています。ヒューマニズム(人間中心主義)の時代にあって、もう一度、私たちも神の奥義の前にひざまずくべきではないでしょうか。
「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。……今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る」(ヨハネ3:39、41)