今日6月19日は桜桃忌(おうとうき)。太宰治は1948年6月13日、玉川上水に入水(じゅすい)自殺し、6日後に遺体が発見されました。奇(く)しくも太宰の誕生日でした。
ヨーロッパの近代人が書いた「キリスト伝」を二、三冊読んでみて、あまり感服できなかった。キリストを知らないのである。聖書を深く読んでいないらしいのだ。……かならずしも聖書にあらわれたキリストの悲願を知ってはいないのだ。(「世界的」)
こう言うように、太宰は自分の苦しみをキリストの受難に重ねて聖書を読んでいると自負していました。「HUMAN LOST」「正義と微笑」「駈込み訴へ」「父」など、聖書に言及している小説などは多くあります。
命日にも使われた短篇小説「桜桃」は、「われ、山にむかいて、目を挙あぐ。──詩篇、第百二十一」という聖句から始まりますが、そのすぐ後に出てくる「わが扶助(たすけ)」までは出てきません。また、「かれらは涙の谷をすぐれども其處(そこ)をおほくの泉あるところとなす」(同84:6、文語訳)から繰り返し「涙の谷」を引用しますが、「泉」までは辿(たど)り着くことができなかったのでしょうか。