大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。(コリントの信徒への手紙I 3章7節)
パウロは指導者をめぐって争うコリント教会の信徒たちを「肉の人だ」(3節)と言う。聖霊によって信仰に導かれたのに、神との交わりに生きず、自分の肉(欲望)に従って生きているからである。肉の結ぶ実は「利己心、不和、仲間争い、ねたみ」である。これに対して、霊の結ぶ実は「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」である(ガラテヤ5・19〜23)。信仰と倫理は切り離せない。
コリント教会の争いの原因には、神との霊的な交わりの欠如の他に、信徒たちの教会や教職者についての理解不足があった。それゆえにパウロは今日の聖句を語って、アポロも自分も神の言葉を「植え、水を注ぐ」奉仕者に過ぎないことを示した。
神はみ言葉を宣教する私たちの奉仕を用いて働かれる。私たちが人を信仰者にするのではない。人の心を聞き、み言葉を受け入れさせるのは神である。私たちが人の信仰を成長させるのではない。人の信仰を成長させるのは神である。パウロは、神の働きを見ないで、人間の働きだけを見て、その優劣を論じる人を「肉の人」と言う。
教会において大切なのは、成長させてくださる神である。教職者も信徒も神から与えられた分に応じてみ言葉の宣教に仕える奉仕者にすぎない。ゆえに、何よりもまず私たちがなすべきことは、神を仰いで祈り、自らみ言葉に聴従することである。私たちは教会の奉仕をする時、まず神に祈る者でありたい。また聖書をよく学び、祈ってみ言葉に傾聴したい。神は祈りとみ言葉に聴従する群れに臨在し、救いの業を進められる。