Q.地方の教会なので、せっかく洗礼を授けた中高生が次々に出ていってしまいます。(50代・女性)
今「地方」は元気がありません。私のいる町も65歳以上が人口の半分以上を占める「限界集落」と呼ばれる所です。若者たちは高校を卒業すると進学や就職でほとんどが都会へ出ていき、少子高齢化が進んでいます。町の行政は「地産地消」を合言葉に、地域で産み出した物を地域で消費することで自給率を高め、地域の活性化を図ろうとしていますが、必ずしも成功しているようには見えません。
教会も同じく「地産地消」です。もっとも教会の場合は、地域の教会が産み出した若者が地域から消えていく「地産地消」です。「せっかく洗礼を授けた中高生が……」というお気持ちは痛いほど伝わります。私も春になると、何人いなくなるかと心の中で数えます。そんなときは、ここで洗礼を授けた若者を都会の教会へ送り出すのだと言い聞かせるのですが、さびしさと虚しさをぬぐうことはできません。
それでも、若者たちが都会の教会で信仰生活を送ってくれるならよいのですが、いつの間にか教会とのつながりを失い、信仰さえもなくしてしまうことを知ったときは深い失望感に襲われます。
日本の教会を「タコ」のようだ、と言った人がいました。自分の足を食って生きているというのです。地方の教会をタコの足に見立ててのことでしょう。その表現の可否はともかく、地方の教会が産み出した信徒が都会の教会を支えていることも事実です。
しかし、時代は変わります。これからは都会から地方へと移住する高齢の(?)信徒が増えることでしょう。そうなれば一人の信徒を橋渡しにして都市と地方の教会がお互いにつながる機会が増えてきます。「もののやり取り」(フィリピの信徒への手紙4:15)ではなく、「人のやりとり」でお互いの窮乏を助け合うことができるようになるのです。そんな夢を抱きながら中高生たちを育て、どんどん都会の教会に送り出しましょう。都会の教会も地方の教会に高齢の信徒を送り出してください。えぇ~っ、地方では高齢の信徒は十分足りてますって!?
かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。