Q.召命を受け、神学校への進学を考えているのですが、周囲からは「向いていない」と反対されています。牧師にも向き不向きがありますか?(20代・男性)
率直に言って、神学校はやめた方がよいと思います。「召命を受けた」としながら、「周囲から牧師に向いていない」と言われて迷っているようでは、「向く、向かない」以前に、「召命」の中身が気になります。それに牧師の仕事は「召命」だけでできるものではありません。あなたが想像する以上に「能力」が求められるのです。
ウィリアム・ウィリモンという牧会学の専門家は、「牧師という職務は、広い範囲に及ぶ様々の高度な技術を要求する。すなわち弁論の能力、知的な能力、人間関係に関する賜物、自己認識の能力、神学的な能力、言葉に関わる能力、経営能力、床を掃除する能力、折りたたみイスを運ぶ能力、道徳的規範として奉仕する能力、そしてその他のあらゆる能力である」(『牧師』新教出版社)と書いています。
日本の牧師の場合はこれに加えて、「誰とでもにこやかに対応する能力、幼稚園の園長の能力、ホームページを作る能力、礼拝堂のスリッパを揃える能力」などが期待されます。それほど「高度な技術」(?)が求められているのです。いったい誰が牧師になれるのか、たぶん99%は不適格でしょう。やはり神学校に行くのはやめた方が無難です。
でも、ウィリモンはこうも言います。「私たちに与えられた神の使命を果たすために、私たちが必要とするものを神が与えてくださるように日々祈るしかない」。99%が不適格としても、あとの1%「必要とするものを神が与えてくださるように日々祈る」ことができるなら、牧師であり続けることができるということです。もしあなたがこの1%に賭けることができるなら、どうぞ神学校に進んでください。
それに「とても牧師に向いていない」と思われている人で、現に良い働きをしている牧師をわたしは何人も知っていますから。
かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。