時田信夫(1899~1990年)という人物がいる=写真。横浜浸礼教会(現在:日本バプテスト横浜教会)と、彼は深い関係にある。同教会は、日本最古の部類に属するプロテスタント教会だ。時田は、第5代牧師(1924~1930年)、第9代牧師(1942~1966年)を務めた。戦後、時田はGHQの通訳者ともなり、日本キリスト教史学会の第4号に「米国における短期大学発達史」を寄せている。また関東学院女子短期大学(1950~2004年)でキリスト教倫理学、英語などを講じ、晩年には関東学院大学名誉教授にも推された。1970年、教育功労者として勲四等瑞宝章を授与された。
内村鑑三、植村正久、海老名弾正、矢内原忠雄、高倉徳太郎、賀川豊彦ほどの知名度はない。しかし、「日本語キリスト教」の一幕を担った重要な人物だ。では、その時田は「皇紀2603年」のクリスマス、1943年の降誕節に何をしていたのだろうか。
彼の著書に『日本基督教神学読本』がある。本書は、西暦1943年のクリスマスに発行された。本書の内容は、前/中/後編で、「日本神学の理念」「日本神学の実践」「日本神学の論據(論拠)」を扱っている。「日本基督教」の聖書、神、人間、キリスト、教会、社会、国家、信仰生活、伝道、ヨハネ神学、パウロ神学について、時田の理解が順次述べられる。興味深いのは序文冒頭だ。
「大東亜戦争は新時代をもたらした(中略)基督教もまた、日本基督教として欧米神学の支配を脱すべきである」
この1行で、本書の内容が察せられる。例えば、「日本の神と基督教の神との関係」という小節では、このように問うている。
「キリスト教の神は、日本の神と同意義の神なのであろうか。現御神(あきつみかみ)は、宗教上の神と如何なる御関係におはし給うのであろうか。神道と宗教とは如何なる関係にあるのであろうか」
時田は、和辻哲郎を引用しながら、日本語の「神」には2種類の意味があるとして、神道非宗教論を展開する。また神にも4種類があるとして、ヤハウェやゼウスは雷神風神と同様の神であり、天皇は神聖性においては、皇祖神・天つ神の御子として高い権威を持つとする。まさしく「国家神道」とキリスト教の混淆が見てとれる。
では、時田の信仰には問題があったのだろうか。キリスト教史学者の枝光泉は、少なくとも1929年の時点では、時田が、当時の「宗教団体法」に反対表明していた事実を指摘している*。時田はバプテストの「自治独立」精神ゆえに「日本基督教団」設立に猛烈に反対していた。しかし、十数年後には引用したような「信仰」を表明していた。
人間は複雑なのだ。時田信夫のように偉大な牧師、教育者であったとしても、このような多面性がある。もし日本が戦争に勝っていたなら、今年は「皇紀2680年」のクリスマスだったのかもしれない。その時、私たちは現在のように先の大戦を反省していただろうか。
確かに信仰は、究極的で絶対的なるものへと人間を接続させる。しかし、信仰に与る人間は相対的存在なのだ。誰も時代性から逃れることはできない。現代のポリティカル・コレクトネスが示すように、ある時代に当然として受容されたことは、別の時代と地域ではまったく許されない。「戦時神学」とも呼ぶべき、時田の言表『日本基督教神学読本』のある部分は、現代ではおそらく許容されないだろう。同様に考える。私たちの信仰の時代性とは何だろうか。「皇紀2603年」のクリスマス、2020年/令和2年の日本語キリスト教の発信のもつ相対性には、何か本質的な違いがあるのだろうか。
クリスマスの日時や様式が他宗教と民俗を吸収して現在のものとなったことは常識だ。真理は常に文化の衣をまとっている。文化の衣なくして真理は表現されることがない。ならば、キリスト教がキリスト教であるための線引きは、一体、誰がどこで定めるのだろう。人間は神ではない。人間は相対的なものだ。相対性とは、弱さ、不完全さとも言い換えられる。激動の時代を生きた時田信夫の生涯の光と影、その複雑な深みは、静かに後進を諭しているように思われる。
神に栄光、地に平和、隣人に愛と怪。2020年のクリスマス、複雑な他者、その不完全さを言祝ぐ季節としたい。(はせ・くにお)
*枝光泉「泉日本バプテスト西部組合の宗教法案、宗教団体法案への動き」(「基督教研究」60巻1号、99-111頁、1988年)
波勢邦生(「キリスト新聞」関西分室研究員)
はせ・くにお 1979年、岡山県生まれ。京都大学大学院文学研究科単位取得満期退学。研究テーマ「賀川豊彦の終末論」。趣味:ネ ット、宗教観察、読書。