オーストラリアのスコット・モリソン首相が来日 そのキリスト教信仰と家族

オーストラリアのスコット・モリソン首相が17~18日に来日し、菅義偉(すが・よしひで)首相と17日に日豪首脳会談をする。菅首相が就任後、外国首脳を日本に迎えるのは初めて。両首脳は会談後に共同記者発表に臨むほか、夕食会も開催する予定だ。

ジェニー夫人とモリソン豪首相(写真:U.S. Department of State)

加藤勝信(かとう・かつのぶ)官房長官は12日、記者会見で次のように語った。

「日本とオーストラリアは、基本的価値と戦略的利益を共有する『特別な戦略的パートナー』。幅広い分野にわたり協力を深めている。今般のモリソン首相の訪日を通じ、この『特別な戦略的パートナーシップ』が一段と深まることを期待している」

二人はすでに9月20日、電話会談をしており、外務省によると、その際に話し合われたのは次のことだ。

「相互補完的である両国間の経済関係を更(さら)に発展させていくこと、コロナの収束も見据え『自由で開かれたインド太平洋』の実現、さらに国際社会全体の安定と繁栄のために協力を深めていくこと、地域の同志国との連携が重要であることを確認している」

また、北朝鮮による拉致問題の早期解決に向けて引き続きの協力を菅首相が求めたという。

モリソン首相も12日、訪日を発表し、「われわれは特別な戦略的パートナーであり、貿易や安全保障、防衛、技術の面で協力している」と、その意義を強調している。

How well do you know Australia's 30th Prime Minister Scott Morrison? | Kitchen Cabinet

 

2018年に第30代オーストラリア首相に就任したモリソン氏は、1968年、クリスチャン・ホームに生まれ、オーストラリア長老教会で育った。77年には、オーストラリア長老教会、メソジスト教会、会衆派教会が合併してオーストラリア合同教会(Uniting Church in Australia)となるが、それについてモリソン氏は、「教派的なこだわりはない。私たちはいつも地元の教会に行くのが好きだった」と言う。

大学卒業後、カナダのリージェント・カレッジで神学を学ぼうと考えていたが、1990年、21歳で結婚したため、「家族を養うために働くべきだ」という父親の反対で取りやめた。

妻のジェニーとは16歳の時、クリスチャンのユース・キャンプで知り合い、付き合い始めた。結婚してから長年にわたる不妊治療と複数回の体外受精に失敗した後、二人の娘が自然妊娠で生まれた。39歳で長女をさずかったことについて、「彼女は私たちの奇跡の子であり、一生分の祈りと、14年間の襲いかかる痛みと、何度も心が折れた治療への答えだ。妻の主への信頼に対して、奇跡をもって祝福してくださった」とモリソン氏は述べている。二人の娘はいまバプテスト系の学校に通っているが、その理由をモリソン氏は「他人の価値観を私の子どもに押しつけられることを避けるため」と述べている。

ホライズン教会の礼拝の様子(写真:Bunzyfunzy)

後にペンテコステ派となり、現在はシドニーのホライズン教会(ブラッド&アリソン・ボンノム主任牧師)のメンバーで、礼拝に定期的に出席している。ホライズン教会は、シドニーにあるヒルソング教会とつながりが深い。モリソン氏は自身を「献身者」と位置づけているが、「聖書は政治のハンドブックではない。聖書と政治をあたかも同じ一つのものとして扱うことを私は非常に憂慮している」と語る。

首相としての最初の演説でモリソン氏は、「幼少時より信仰にコミットしてきた」と断言した。「しかし、イエス・キリストへの個人的な信仰は、取り組むべき政治的課題ではない。リンカーン米元大統領の言うように、私たちの任務は、神が私たちと共におられることではなく、私たちが神と共にいることを熱心に祈ることだ」

また、自身の信仰が批判の対象になっていることに対して次のように述べる。

「信仰は個人的なものだが、社会的なものでもある。社会的責任は、クリスチャンとしてのメッセージの核心部分だ。しかし、社会生活で自ら『ファンダメンタリスト』と表明する人々を否定的に捉える傾向があり、そのような信仰はこの国の政治的議論の場では認められていない。この現状は、私のような者にとってはきわめて大きな挑戦だ。オーストラリアは世俗的な国家ではない。個々人がそれぞれの信条に従うことができる自由な国なのだ」

雑賀 信行

雑賀 信行

カトリック八王子教会(東京都八王子市)会員。日本同盟基督教団・西大寺キリスト教会(岡山市)で受洗。1965年、兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒業。90年代、いのちのことば社で「いのちのことば」「百万人の福音」の編集責任者を務め、新教出版社を経て、雜賀編集工房として独立。

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