9月9日「ここにはおられない。復活なさったのだ」

なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方はここにはおられない。復活なさったのだ。(ルカによる福音書24章5〜6節)

主イエスが葬られた墓に行った婦人たちは、遺体が見当たらず途方に暮れていると、み使いが現われて今日の聖句を語った。婦人たちは急いで墓から帰り、使徒たちに一部始終を知らせた。しかし、使徒たちは婦人たちの話がたわごとに思われたので、信じなかった。復活は現代人だから信じられないのでなく、その時代の人々も信じられなかったのである。しかし、信じなかった使徒たちが、その後、主イエスの復活を語り始めた。人々に脅されても、嘲笑(ちょうしょう)されても、語ることを止めなかった。彼らは復活の主に出会ったからである。

私たちが主の復活を信じられないのは、主イエスをかつて生きていた聖人として、その素晴らしい教えや生き方を学んでいるからである。み使いが語ったように、「生きておられる方を死者の中に捜す」からである。主イエスは復活して、今、「生きておられる方」である。「ここにはおられない」と言っているように、場所に限定されない霊の主である。だから、信仰の目によらなければ、復活の主は見えない。聖書を通して、また、聖書の説き明かしを通して、語っておられる主の言葉に心を打たれる時、信仰の目が開かれる。そこに、十字架の苦しみに勝利された主イエスが立っておられる。語りかける主の言葉によって、弟子たちは復活の主に出会った。復活の主はみ言葉をもって私たちに罪の赦(ゆる)しを告げ、父なる神の愛と恵みの中に招き入れ、死に勝利する神の国の希望を与えてくださる。私たちは信仰によって、主イエスを礼拝し、主の恵みと霊の力をいただいて、復活の主と共にある人生を歩む。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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