オリエンス宗教研究所は、1948年以来、カトリック修道会「淳心会(1862年創立スクート会)」が運営する研究・出版団体である。『共同訳聖書』発行で活躍した。またミサの手引き「聖書と典礼」の発行元として知る人もあるだろう。
本連載は、同所発行の鈴木範久/ヨゼフ・J・スパー共編『日本人のみたキリスト教』(同所、1968年)を手がかりに、社会にある教会の「今昔」を問う。本書の前半部分で、1968年、著名な学者12人が以下四つの質問に答えている。
1.今までに日本のキリスト教とどのような関係があったか?
2.キリスト教が日本社会で果たしている役割とは?
3.日本でのキリスト教低迷の原因とは?
4.今後、日本のキリスト教の課題は?
半世紀以上前に語られた「外側からみた日本のキリスト教」という提言、またそれに伴う問いかけに、いま次世代の教会はどのように答えられるだろうか。
第3回 政治思想史学者・神島二郎(1917~1998年)
神島二郎は、柳田国男から民俗学の手解きを受け、丸山眞男の指導を受けた神島二郎は、敗戦から近代日本を問い直した思想史学者である。
神島は浄土真宗の家に生まれ、一高時代、寮において「無教会」の人々に出会う。「1.キリスト教との関係」は、そのころ三谷隆正、矢内原忠雄の著作、また倉田百三も読んだことに始まる。その教えには共感と興味をもったが「信仰集会で始めと終わりに捧げられる祈りのアーメンには、なんとなくいやな感じがして」信仰は持たなかった。
また「そのころの矢内原さんは、あたかも、自分こそ神の使徒であるかのように、神がかり的、ドグマ的で、それがいやなうえに、そんな矢内原さんに傾倒している人たちをみると、いっそうクリスチャンになる気はしなく」なった。しかし、チャプレンからは自身の考え方がキリスト教に似ていると言われた、という。
「2.キリスト教が日本で果たした役割」については、「日本の近代化に果たした役割が、やはり大きい」という。プロテスタントの場合、「武士道的、倫理的、禁欲的な気風になじみがあり、近代化に貢献」し、「社会主義運動もキリスト教から起こり、大正期にかけて……民主化の上でも少なからぬ役割を果たし」たと指摘する。
しかし、神島は、カトリックの法学者・田中耕太郎を引用して「日本のキリスト教はキリスト教ではなく、キリスト教臭味」であり、あくまで教養に留まる「インテリのなかに」受容されたものだとする。そして、それが日本の新興宗教に影響を及ぼしたともいう。
キリスト教「3.低迷の原因」については、戦後5年間ほど「欧米化即近代化」と思われた時期には流行したが、結局「キリスト教に臭味」に終わったという。「戦後の没宗教、無宗教のムード」の中で、創価学会は世俗化の中で信者を獲得したのに、キリスト教はそのムードに流されるだけで「宗教として少しだらしがない」。
また仏教の存在は見逃せないが、神道の存在も「宣教の課題」となったという。なぜなら、欧州へのキリスト教宣教の初期段階と比較して、神道という「家の宗教における祖先神の観念は、幕末期の段階では、かなり高度なものになっていた」からだ。「土着の宗教をくみとる配慮に欠け……まったく別の心構えが必要」だった。
「4.今後の課題」については、こう語る。「現在社会は、いちじるしい流動性がその特徴であり、新しい産業秩序には新しい人間関係、人生観、哲学が養成されています。……かかる時代に新しい人生観を提供するのが宗教の役割で……家庭とか教育で代行されるものではありません。
家庭では、個々の家庭によってバラエティが出すぎ、教育では、知的、技術的な方面に偏する嫌いがあります。宗教にこそ、その役割が期待されてしかるべきです。キリスト教が、こういう問題を、いまだ探りあてていないところに、今後の課題がある……日本の状況を適確につかめば、キリスト教のとるべき態度は、教派のちがいをこえて、おのずから共通するはずであります」。
神島が「アーメン」や矢内原に感じた「いやな感じ」は今でも変わらないのだろうか。インテリやブルジョアに代表される「金持ちの宗教」というイメージ、「キリスト教臭味」のせいだろうか。実数として教勢実数の減少カーブを下り始めたいま、それでも神島は、キリスト教に何かを期待してくれるだろうか。コロナ禍の最中で、神島の提言を、どのように私たちは聞くだろう。
文・写真 波勢邦生/編集部