教皇フランシスコ、今夕来日 呼称を「法王」から「教皇」へと政府が変更し、一般メディアも追随

 

教皇フランシスコは今日22日午後5時40分、東京国際空港(羽田空港)に到着する予定だ。それに合わせて日本政府は20日、従来「法王」としていた呼称を、今後「教皇」に変更すると発表した。カトリック教会では1981年から「教皇」に統一されていたが、この機会に一般社会でも「教皇」に統一されると見られる。

教皇フランシスコ(写真:Xonn)

大鷹正人(おおたか・まさと)外務報道官が20日夕、会見を開いて次のように述べた。

「これまでバチカン国家元首の日本語での呼称については、日本国内で『ローマ法王』と『ローマ教皇』という異なる呼称が用いられてきました。ただ、カトリック関係者をはじめ、一般に『教皇』という呼称を用いる例が非常に多く見られること、また日本政府の一般的な呼称として『教皇』を使用する場合、バチカン側として問題がないという確認ができたことを踏まえ、フランシスコ台下(だいか)訪日に際し、日本政府として『教皇』という呼称を使用することとしました」

以前は日本のカトリック教会の中でも「教皇」と「法王」が混用されていたが、日本の司教団は81年2月のヨハネ・パウロ2世の来日を機会に、「ローマ教皇」に統一することにした(カトリック中央協議会のホームページ)。「教える」という字のほうが教皇の職務をよく表すという理由からだ。

ただ、日本の一般社会でこれまで「法王」という呼称が広く使われてきたのは、駐日バチカン大使館が「ローマ法王庁大使館」(東京都千代田区)という名称であり、それに合わせたものだという。日本とバチカン(ローマ教皇庁)が外交関係を樹立した1942年当時の定訳が「法王」だったため、ローマ教皇庁が「ローマ法王庁大使館」という名称で日本政府に申請したのだ。そういうことから、外務省をはじめ政府は「法王」を公式の呼称として用い、これまでマスコミ各社もこれに従っていた。

しかし 政府が「教皇」の使用を決めたことで、さっそくNHKをはじめ、一般メディアも追随している。「読売新聞」は22日、「ローマ教皇、26日まで滞在し長崎や広島訪問…核廃絶へメッセージ」という記事で「ローマ法王の呼称について、今後は『ローマ教皇』と表記します」と最後に書き、「朝日新聞」も「教皇がヒロシマの心を震わせた 38年前、冬の日の熱気」という記事の最後に「※法王の表記を『教皇』に改めました」と注意書きを入れ、「産経新聞」も「『ローマ教皇』に表記を変更します」と「おことわり」の記事を出した。それ以外にも、「毎日新聞」「日本経済新聞」「共同通信」「時事通信」なども歩調を合わせている。

サン・ピエトロ大聖堂展望台からのバチカンの眺め(写真:Tobias Spitaler)

ところで、教皇はバチカンの国家元首でもある。イタリアのローマ市内にある「バチカン市国(Vatican City State)」は、世界に約13億人の信者を有するカトリック教会の最高機関「教皇聖座(Holy See)」であるとともに、国家としての側面も持つ。人口は、バチカン国籍保有者615人(2018年10月)と、バチカン国籍を保有せずバチカン市国に居住する205人を合わせると820人。2017年には日本とバチカンの国交樹立75周年を迎えた。

バチカンは1929年、イタリアと結んだラテラノ条約により独立国家となった。「バチカン」という名称は、この地がもともと「ウァティカヌスの丘」と呼ばれていたため。

伝承によると、紀元67年、イエスの一番弟子であるペトロはローマで伝道していたが、皇帝ネロによる迫害が激化したため避難しようとした。しかし、その途中で出会ったイエスに「クオ・ヴァディス(どこへ行かれるのですか)」と尋ねたところ、「あなたが私の民を見捨てるなら、私がもう一度十字架にかけられるためローマへ」と言われたのでローマへ戻り、逆さ十字架にかけられて殉教したとされる。

ルーベンス「ペトロの十字架」

326年、バチカンの丘にあるペトロの墓と伝えられる場所に、コンスタンティヌス1世(ローマ皇帝として初めてクリスチャンとなり、キリスト教を公認した)が最初の教会堂が建てた。それが最初のサン・ピエトロ大聖堂(聖ペトロの大聖堂)だ。やがてこの地に住んだローマ司教が教皇として全世界のカトリック教会に強い影響力を及ぼすようになり、教皇領がカトリックの中心地として発展した。

そのペトロを初代教皇とする代々の教皇の地位と権威は、次の聖書箇所に基づくとされる。

「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ16:18~19)

雑賀 信行

雑賀 信行

カトリック八王子教会(東京都八王子市)会員。日本同盟基督教団・西大寺キリスト教会(岡山市)で受洗。1965年、兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒業。90年代、いのちのことば社で「いのちのことば」「百万人の福音」の編集責任者を務め、新教出版社を経て、雜賀編集工房として独立。

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