2月10日で85歳になった。最近は「記憶の旅」と称して、過去の思い出を手繰りながら自分の人生を振り返ることが多くなった。13歳(中学1年)の時に、同級の女子生徒に「紙芝見においで」と誘われて、信者さんの家の2階座敷で行われていた教会学校に行き、3年後(高校2年)に受洗した。その日から今年で信仰生活70年を迎えるが、賛美歌をめぐるいろいろな思い出がある。
教会学校に行き始めたころ、クリスマス祝会で好きな賛美歌を独唱することになり「十字架の血にきよめぬれば……」という当時の「讃美歌」529番(1931年版、1954年版=515番)を歌った。すると途中から、先生と友だちが次々と立って一緒に歌い始めた。私は感極まって、涙しながら歌い続けた。賛美歌を歌う喜びを初めて経験した。
その後の牧師、キリスト教学校宗教主事、幼稚園園長の45年間は、いつも賛美歌のある人生だった。宗教主事時代は、学校のチャペルの司会をして毎日のように賛美歌を歌った。ある時、生徒が礼拝で講壇に立つ先生方の「評価表」を作った。私への評価は、「お話」は非常に低かったが「賛美歌を一生懸命に歌う」が10点(満点)だった。そんな状態だから、スナックでカラオケを歌うと、「先生の歌は賛美歌調だ」とよく言われたものだ。
かつて大阪のある教会の葬儀に出席した時、1人の宣教師がフルートの伴奏に合わせて讃美歌353番(1954年版)を独唱された。
「いずみとあふるる いのちのいのちよ、あさ日とかがやく ひかりのひかりよ」
その声の素晴らしさと、「いずみ」「いのち」「あさ日」「ひかり」という言葉が、私のこころに染み通り感動した。そして今、「主イエスよ、たえせず わが身にともない、ひかりのみちをば あゆませたまえや」と続く5番の歌詞を、私の70年の信仰生活と重ねてみた。好きな賛美歌1曲と言えば、私はこの353番を挙げる。辞世の歌として、私の葬儀ではぜひこの曲を歌ってほしいと思っている。
コロナ禍の今、声を出して叫べない状況が続いている。散歩中によく賛美歌を口ずさむが、早く腹から声を出して歌いたい。マスクの中に閉じ込められた歌がかわいそうだ。もちろん、歌い方は多様だが、賛美歌のあるいい人生を過ごしたいと思う。
「聖所で 神を賛美せよ。大空の砦で 神を賛美せよ。力強い御業のゆえに 神を賛美せよ……息あるものはこぞって 主を賛美せよ。ハレルヤ」(詩編150編1~6節=新共同訳)
かわさき・まさあき 1937年兵庫県生まれ。関西学院大学神学部卒業、同大学院修士課程修了。日本基督教団芦屋山手教会、姫路五軒邸教会牧師、西脇みぎわ教会牧師代務者、関西学院中学部宗教主事、聖和大学非常勤講師、学校法人武庫川幼稚園園長、芦屋市人権教育推進協議会役員を歴任。現在、公益社団法人「好善社」理事、「塔和子の会」代表、国立ハンセン病療養所内の単立秋津教会協力牧師。編著書に『旧約聖書を読もう』『いい人生、いい出会い』『ステッキな人生』(日本キリスト教団出版局)、『かかわらなければ路傍の人~塔和子の詩の世界』『人生の並木道~ハンセン病療養所の手紙』、塔和子詩選集『希望よあなたに』(編集工房ノア)など。
関連記事
None found