教会員の転籍をめぐるトラブルにどう対処? 塩谷直也 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】

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Q.近隣教会からの転籍を受け入れたところ、「教会員を奪うな」と怒られてしまいました。(30代・牧師)

転籍を受け入れたらこのような状況になることは大方察しがついていた。しかし、やむにやまれぬ事情で受け入れざるを得なかった。その結果、暴言を吐かれたのですね。気にしないことです。いやむしろ「教会員を奪うな!」と怒鳴らなければ教会の維持ができない無能な牧師の教会から、よくぞ1人の信徒を救出することができました!

おそらくその牧師にとって「信徒」とは、かけがえのない神の子どもではなく、自らの業績を算定するための数字、将棋の駒なのでしょう。このように信徒を自分の所有物と勘違いしているからこそ、「取った、奪った」という言葉が図らずも口に出る。神の子を所有できるのは神のみです(イザヤ書43:1)。

今後もあなたの説教の力強さ、きめ細かい牧会、健全で風通しのよい教会運営に多くの人々が魅せられ、結果として信徒を「奪う」こととなるでしょう。これを契機に、今後、信徒を「奪った」と言われる覚悟を持ってください。

確かに宣教が困難で、とりわけ教会の数も少ない地域では、近隣教会との協調は重要です。そのような地域内での信徒の転籍というのは、引っ越し以外の理由で行われることはまずありません。いや、引っ越しが理由であっても転籍は極めてデリケートな問題となり、両者慎重に失礼のないよう運びます。

しかしだからと言って、教会員を結果として「奪わない」ようあなたが周辺教会に常に遠慮ばかりしているのなら、教会の問題で傷つき苦しんでいる信徒の転籍希望(悲鳴)を拒むなら、それは宣教の多大な損失です。一人の信徒と特定教会の無条件な固着は、信徒の霊性を損ない、教会同士の健全な成長を阻みます。

伝道者の使命は「私には、この囲いに入っていないほかの羊がいる。その羊をも導かなければならない。その羊も私の声を聞き分ける。こうして、一つの群れ、一人の羊飼いとなる」(ヨハネによる福音書10:16)との言葉を受け、まず福音を一人でも多くの「外の」人に伝えること。「囲いの中の羊」を身内で奪い合うことではありません。

しおたに・なおや 青山学院大学宗教部長、法学部教授。国際基督教大学教養学部卒業、東京神学大学大学院修士課程修了。大学で教鞭をとる傍ら、社会的な活動として、満期釈放を迎える受刑者への社会生活を送るための教育指導をはじめ、府中刑務所の教誨師として月1度ほど、受刑者への面談や講話を行う経験を持つ。著書に『忘れ物のぬくもり――聖書に学ぶ日々』(女子パウロ会)、青山学院大学の人気授業「キリスト教概論・Q&A」が書籍化された『なんか気分が晴れる言葉をください――聖書が教えてくれる50の生きる知恵』(保育社)など多数。

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