Q.教会員から「悪霊を祓(はら)ってほしい」と請われました。どう答えればよいでしょうか。(50代・牧師)
電車とバスを乗り継いで、その人は私のいる伝道所に突然やってきました。道が分からないというので、バス停まで迎えに行きました。30前後のその女性は、私より足早に、下を向いてあれこれ呟いて歩きます。道を知らないはずなのに、彼女は私を追い抜く。案内役の私のほうが何度も追いつかなければいけない奇妙な同伴。彼女の引きずるような靴音が、道の両側に広がる無人の梨畑に響きます。追いつく際、その靴のかかとが激しく片側に擦り切れ、黒革のあちこちが白く変色していることに気付きます。その後ろ姿が彼女のここまでの道のりを無言で伝えていました。
小さな伝道所のキッチンで、彼女の半生を聞きます。30分も経たぬうちに「悪霊が宿っているので除霊してほしい」と求められました。申し訳ないが、そのような才能は私にはないことを伝え、聖書を読み、主の祈りを共に祈って別れました。無表情で逃げるように帰る彼女の、靴のかかとを再び追いながら、バス停まで送ります。たった数時間の出会いなのに、今でも胸に刺さる思い出です。
人は自分に理解できないことを、無条件で否定しがちです。悪霊の問題も、きっと多くの人はその存在を否定し、嘲笑することでしょう。もしそうなら、悪霊で苦しむ人は、いたるところでけなされ笑われ、たらい回しにされているのではないでしょうか。それこそ靴のかかとが擦り切れるほどに、痛みを理解してくれる人を尋ね、果てしなく今日も歩いているのではないでしょうか。
私も正直、悪霊のことや除霊のことなどよく分からないのです。しかし、かかとが擦り切れるほどに歩いてきた人がいたら、もう一度一緒に歩きたい。どうせこの人も分かってくれないのだろうと、私を追い抜いて行き過ぎるなら、追いつきたい。率直にできないことはできないと伝え、しかしイエス様の愛を信じ、かかとが擦り切れた理由をお聞きし、愚直に共に主の祈りを唱えたいと思います。
しおたに・なおや 青山学院大学宗教部長、法学部教授。国際基督教大学教養学部卒業、東京神学大学大学院修士課程修了。大学で教鞭をとる傍ら、社会的な活動として、満期釈放を迎える受刑者への社会生活を送るための教育指導をはじめ、府中刑務所の教誨師として月1度ほど、受刑者への面談や講話を行う経験を持つ。著書に『忘れ物のぬくもり――聖書に学ぶ日々』(女子パウロ会)、青山学院大学の人気授業「キリスト教概論・Q&A」が書籍化された『なんか気分が晴れる言葉をください――聖書が教えてくれる50の生きる知恵』(保育社)など多数。