Q.牧師館が教会の敷地内にあるため、プライバシーを守るのが困難です。何かいい方法はありませんか。(20代・牧師)
牧師館を敷地外に移せればそれに越したことはないのですが、察するにそれができないのでどうしたらよいか、との質問ですね。
ならばまず牧師館の中に信徒を招き入れないでください。確かに牧師館で食事や歓談することで牧会が成立するという人もいます。しかしそれでは牧師館に入った信徒と、そうでない信徒との間に温度差ができます。「牧師館に自由に出入りするほど私は牧師と懇意なのだ」と吹聴し、つまらぬ権威を(牧師の知らないところで)振り回す人もいないわけではないのです。面談は教会の空いた部屋(コーナー)で十分可能。それだけでも、あなたのご家族はホッとするに違いありません。
次に面会時間、電話を受け付ける時間を週報などで常に公表してください。緊急の電話は別ですが、明日でも十分間に合う内容なら「今日は疲れており、正しくあなたの考えを受け止めることができません。きちんとお聞きしたいので、私の執務時間にもう一度お電話いただけますか」と心を込め、やんわりと、しかし毅然とお答えください。
「そう言われても牧師館の中に信徒を招き入れざるを得ない、深夜の『緊急ではない』電話に長々と対応せざるを得ない」とおっしゃるなら、そこまでプライバシー・家族を犠牲にしなければならない本当の理由を教えてください。
厳しい言い方ですが、その背後に、あなた自身の説教・牧会への自信のなさが隠れていないでしょうか。自信のなさが、「せめて牧師館に招き入れることで説教の貧しさを償わねばならない。せめて24時間いやな顔をせず電話対応することで、牧会の足りなさを補うべきだ」との諦めを生み出していませんか。
もしそうなら、心を砕かなければならないのは、プライバシーの保護ではなく、説教と牧会です。もしくはあなたの説教と牧会に対する「傷ついた心」を、早急に修復することこそが重要です。
しおたに・なおや 青山学院大学宗教部長、法学部教授。国際基督教大学教養学部卒業、東京神学大学大学院修士課程修了。大学で教鞭をとる傍ら、社会的な活動として、満期釈放を迎える受刑者への社会生活を送るための教育指導をはじめ、府中刑務所の教誨師として月1度ほど、受刑者への面談や講話を行う経験を持つ。著書に『忘れ物のぬくもり――聖書に学ぶ日々』(女子パウロ会)、青山学院大学の人気授業「キリスト教概論・Q&A」が書籍化された『なんか気分が晴れる言葉をください――聖書が教えてくれる50の生きる知恵』(保育社)など多数。