Q.キリスト教主義の学校に女子校が多いのはなぜですか?(20代・女性)
かつては「ミッション・スクール」と呼ばれていました。私など「ミッション・スクール」と聞くだけで、胸が「ドキドキ・ワクワク」したものでした。いまは「キリスト教(主義)学校」と呼び方が変わってしまいました。昔のように宣教師団体(ミッションボード)の支援や支配を受けない独立した教育機関であり、伝道(ミッション)を目的とした学校ではないという考えによるのでしょう。それ自体は正しいことでしょうが、あの「ミッション・スクール」の醸し出すかおりがなくなってしまったのは個人的には残念です。
それはさておき質問ですが、実際はどうなのでしょうか。佐藤八寿子著『ミッション・スクール――あこがれの園』(中公新書)によると、現在日本にはプロテスタント、カトリックを合わせてキリスト教(主義)の中学校、高等学校は200以上あるようです。そのうちの約半数が女子校で、あとの半数は共学校と男子校です。
詳しく見ると、プロテスタント系では共学校が女子校より多いのですが、カトリックでは7割近くが女子校であり、それが女子校というイメージを作り出しているのかもしれません。それに「ミッション・スクール」の多くは、明治初期に宣教師たちによって女子教育を目的に始められたもので、「ミッション・スクール」は女子校とのイメージが今でも残っているのでしょう。しかし、最近は女子校から共学校に変わる学校もあり、かつての「あこがれの園」も変化しつつあるようです。
ところで「ミッション・スクール」とは、言葉通りキリスト教の「伝道」(ミッション)を「使命」(ミッション)として建てられた学校です。その点において日本の教育の歴史において独自の役割を果たしてきました。教育の混迷が続くいま、「伝道の使命」を高く掲げた「ミッション・スクール」の復興を願うのは、時代錯誤でしょうか?
かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。