【宗教リテラシー向上委員会】 あらゆる人々を受け入れる心意気 池口龍法

キリスト新聞社ホームページ

昨秋のことである。突然、SMクラブのママから連絡をもらった。何事かと思ったら、「お店の25周年記念イベントのポスター撮影をしたいので、本堂でロケをさせてほしい」という相談だった。お寺アイドルの育成はじめ、かなりの変化球に対応してきた私だが、この時ばかりはさすがに当惑した。でも、SMクラブと聞いただけで拒絶するのは偏見が過ぎると思い、「とりあえず会いましょう」と返事をした。

数日してママがやってきた。本堂はロケ地として完璧だったらしい。「お店の女の子を絵具で全身金色に塗って、菩薩さまのいで立ちでご本尊の前に並べて写真を撮りたい」と、ポスター写真のイメージを興奮気味に語ってくれた。私は、拒否反応を示すよりも妙に共感してしまった。お坊さんだって、法衣を着た瞬間にスイッチが入る。「コスプレ」がブームなのも、アニメのキャラに成りきることで特別な世界に足を踏み入れられるからであろう。

25周年イベントの会場は京都府立文化芸術会館だというから、あくまで「アート表現」と理解して受け入れることにした。でも、念のために「服は脱がないですよね?」と聞いたら、あっさりと「脱ぎます」と裏切られた。とはいえ、お寺に祀られている菩薩像も、よく見ると肌の露出が高い。成りきろうとするなら表現上やむを得ないことは、頭では理解できた。

そして当日。「おはようございます!」「よろしくお願いします」と、続々と若い女性がお寺に集まってきた。お寺の和室で、金色の菩薩に変化する準備が始まった。体にアクリル絵の具を塗ると皮膚呼吸ができないため、肌にダメージを与える。したがって、菩薩でいる時間は極力短くしなければならない。現場は和やかな中にも緊張感がただよっていた。

襖を締め切った向こう側の様子が気になっていることが表情からバレたのだろうか、ママが「ご住職もご覧になられますか?」と誘ってくれた。うれしそうに「見たいです」と言うと下心丸出しでみっともないし、かといって「男性が入らない方が……」と断るとせっかくの盛り上がりに水を差すだろう。すました顔で「え、いいんでしょうか」と言ったが、かえってイヤらしかったかもしれない。

髪飾りなども仏像さながらに装着した生身の菩薩が本堂に勢ぞろいした様は、圧巻だった。見事なアート表現だったと私は受け止めている。公演は2月11日に満員御礼で無事に終わった。ポスターに対するネガティブな反応は一つも届かなかったので、とりあえずはほっとしているが、「お寺にSMクラブの人たちが来るなんてイメージダウンだ」と思った人も中にはあったのではないか。

しかし、よく考えてほしい。宗教の光は、あらゆる人々に降り注ぐものではないのか。職業によって人間が選別されていいのだろうか。

浄土宗の開祖法然は、晩年に四国に配流される道中に遊女を教化したという。感銘を受けた遊女は「私でさえ極楽に往生できる」と信じて橋の上から入水を遂げた。私の生家のお寺はこの地の近くにあり、橋杭を自ら彫って作ったという法然像が伝わっている。

ロケの相談があって以来、幼いころから繰り返し聞かされたこのエピソードが、常に私の心の中にあった。その後、わざわざお店に遊びに行っていないので、菩薩に成りきった女性たちが、あの時なにを感じていたかは分からない。ただ、少なくとも、あらゆる人々を受け入れようとする仏教の心意気ぐらいは伝えられただろうと思っている。

池口龍法(浄土宗龍岸寺住職)
いけぐち・りゅうほう 1980年、兵庫県生まれ。京都大学大学院中退後、知恩院に奉職。2009年に超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足させ代表に就任、フリーマガジンの発行などに取り組む(~15年3月)。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)/趣味:クラシック音楽

【宗教リテラシー向上委員会】 除夜の鐘のライブ配信が変えた体質 池口龍法 2021年3月11日

この記事もおすすめ