見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。
マタイ1章23節(参照箇所同書1:21〜25)
インマヌエルとは「神は共にいます」と意味ですから、救い主は天高くいますお方ではなくて、この地上にわたしたちと共にいてくださるということです。この救い主の姿は、クリスマスにおいて始まり、世の終わりにいたるまでも変わりないことを、主は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28章20節)と弟子を派遣されるさいの言葉の中に表明されます。
主が共にいてくださることを信じる信仰ほど、人に勇気と慰めを与えるものはありません。究極の隣人援助は、「共にいる」ことであるとカウンセリングの世界で言われます。人が危機のさ中にいればいるほど、共にいてくれる人の存在が重要な意味を持ちます。危機を経験した人なら、なまじっかの気の利いた言葉を聞くより、だれかが傍にいてくれるだけで慰めを得、勇気が湧いてきたことを知っているはずです。
救い主は、いついかなる時も共にいてくださることを知っているなら、前途暗澹(ぜんとあんたん)たる思いにたたずむときも決してそのまま捨て置かれることはないとの確信の方が絶望よりも大きく心に広がることを経験することでしょう。