母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが、明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
マタイ1章18〜19節(参照箇所同書1:18〜21)
ヨセフは「正しい人であったので」、マリアの懐妊を知って悩みを深くします。当時姦淫(かんいん)の罪は石打の刑が執行されることになっていました。もしこのことが表ざたにでもなれば、マリアが無残な目に遭うであろうことは明白です。彼は、ひそかに離婚をしようと考えたのでした。
ヨセフの悩みは、マリアが聖霊によって身ごもったことに当然人間が向けるであろう疑問でもあります。聖書は、当然人が抱くであろう疑問を、ヨセフの悩みにリアルに反映させます。それによって、救い主の誕生の出来事はとんでもない作り話ではなくて、救い主は人間の世界に事実として生まれたお方であることを証しようとしているのです。
ヨセフは、この疑問を自らの判断の正しさで処置しようとはしませんでした。悩みの中にあるヨセフに天使が現れ、マリアを妻として迎えるようにと告げます。彼はこのお告げに従ってマリアを迎える決断をしたのでした。彼の意図することとはちがう決断がそこにありました。ヨセフからすれば、自らの正しいとする判断を捨てたことになります。しかし、ヨセフはそうすることによってのみ、救い主の父であることを選び取ったのです。