主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。
フィリピの信徒への手紙4章4節(参照箇所同書4:2〜7)
二人の婦人のための勧めの言葉に一節です。パウロは、「福音のために戦ってくれた」(3節)と活動の激しさに触れ、「どんなことでも思い煩うのはやめなさい」(6節)とありますから、取り巻く環境は、単純な喜びとはほど遠い状況があったことでしょう。
その中にあって、パウロは「喜びなさい」と勧めるのです。喜ぶにほど遠い事態が彼らを包んでいる、だからこそ、その中での喜びとはなにかをパウロは「主にあって」という言葉に託して、伝えたかったのです。
主にある喜びとは、どのような状況にあれ、主を信じる者が心の奥に噛みしめることができる喜びです。彼女たちが噛みしめる喜びは、パウロと共に伝道の戦いを戦うことができていることの喜びであるはずです。いろいろな心配事があるけれども、「求めているものを神に打ち明けることができる」ことが許されていることへの喜びでしょう。
そのような喜びは、キリストがおいでにならないなら持ち得ない喜びです。だからパウロは、「主にあって喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」と強く勧めるのです。しかし単純にニコニコしている姿は、ここにありません。