11月5日 フィリピの信徒への手紙1章29節

あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。
フィリピの信徒への手紙1章29節(参照箇所同書1:27〜30)

 

パウロは伝道の働きを妨げる敵対勢力に悩まされ、今や獄に繋がれるに至りましたが、このような苦しみもまた神の恵みであると言うのです。

苦しみもまた恵みであるとは、信仰というものの本来のあり方を教えるものです。もちろん、人は、信仰によって慰めを得たいと思います。平安の内に毎日を過したいとも願います。事実、信仰によって慰めや平安を得ている人も大勢いるでしょう。

けれどもキリストを信じる信仰は、慰めや平安を求めて信じる信仰ではないことは、わたしたちのよく知るところです。慰めや平安は、信じた結果として与えられる恵みです。そういう意味では、恵みは歩んできた過去の足跡の中に数えるものです。約束は未来に恵みは過去にと言われるように、先々の恵みを期待する信仰を持とうとするなら、不都合なことが起これば、さっさと信仰を捨ててしまうでしょう。
パウロは、彼の福音伝道に敵対する勢力によって投獄され、思わぬ苦しみを味あうことになりました。しかしこれもまたキリストを信じる信仰の結果でした。そうであるなら、これもまた恵みであると彼は受け取ったのです。

信仰に生きる者は、したたかに生きることができることのモデルがここにあります。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

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