わたしたち見えるものでなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
コリントの信徒への手紙二4章18節(参照箇所同書4章16〜5章10節)
人生を送る中で、艱難(かんなん)は避けて通れません。パウロは、「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます」(4章17節)と言います。宗教が阿片(あへん)であるとする批判は、この世では苦労があっても天国へ行けば楽になると安易な安心を売り物にすることが、その理由になっているようですが、パウロの言葉は、そのような批判を払拭するものです。
彼は、この世で辛くとも、死ねば楽になるなどとは言っていないのです。彼は、一時の軽い艱難が永遠の栄光への道筋であると言っているのです。人生には軽い艱難は付き物で、わざわざ天国に行く日まで待たずとも自分の力でどのようにも解決できるはずです。
しかしながら、パウロは軽いと思われる艱難であってもそこに永遠の栄光に至る道筋を見ました。艱難というものは、たとえ軽いものであっても、人間にこの世の現実とは何かを経験させるものであって、あらためて現実が持つはかなさや厳しさという真実を教えるものです。
人はその真実に触れることによって、見えるものでなく目に見えないものが持つ真実があるのだということに気付き、見えないものにこそ、永遠の相を見出すのです。