10月3日 コリントの信徒への手紙二2章15〜16節

わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。
コリントの信徒への手紙二2章15〜16節(参照箇所同書2章14〜17)

日曜日のこと、ある人が教会を訪ねようと思い、もよりの駅で降りたものの、どの道を行けばよいか分からない、人に聞くのも面倒と思っていると前を歩く人の後ろ姿がいかにも教会に行くという感じがする、ままよと思い、その人について行ったところ、案の定教会に辿り着いたという話をしてくれたことがあります。

「わたしなんぞ、及びも付かない、よほど特別な人のことだ」と言えるかもしれませんが、信仰者というものは、ごく普通の信仰生活を送っているようでも、案外気付かずに、物腰なり、ものの言い方でクリスチャンであることを表わしていることがあるものです。

有名な神学者ボンフェッファーが「兄弟の中のキリストは、わたしの中のキリストよりも大きい」と言いますが、自分では小さな信仰だと思っているのに、他人には大きなキリストを証していると言っているのです。

信仰者であるとは、そのような大きな賜物が知らない間に備えられていることに畏れおののくと共に感謝してよいと思います。パウロが「わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです」と言うのは、それこそ、信仰者としての存在そのものの価値に目覚めさせます。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

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