わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それはわが僕ダビデある。彼は彼らを養い、その牧者となる。
エゼキエル書34章23節(参考箇所同書34章1〜31節)
神は御自身が一人の牧者となると言われます(11節)。この背景には、南ユダ末期のイスラエルの牧者としての役目を果たすべき指導者たちに対する非難がありました。彼らは群れを養うことなく、自分自身を養うことに汲々(きゅうきゅう)とし、力で群れを支配したからです(2節以下)。まるで牧者とは何でないかを明らかにしているようなものです。
それに対し神は彼らに代わって自ら牧者となり、群れを養うと宣言されます(11節)。真の牧者は、「失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う」(16節)のです。これこそが牧会であります。
牧会と聞くと、外に向かって働き掛ける伝道の働きに比べるとやや内向きの印象を与えます。しかしここに描かれた牧者の働きには、積極的な面が牧会に隠されていることを教えるものです。
まずは養うべき群れを探し求めることから牧会は始まるのであり、群れの一人一人に優しい配慮がなされると同時に、牧会を妨げるものを排除する強さも発揮されねばならないのです。