わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。わたしはこの子を主にゆだねます。この子は生涯、主にゆだねられた者です。
サムエル記上1章27〜28節(参考箇所同書1章1〜28節)
サムエルの母ハンナは、不妊の女として深い悩みをもっていました。シロの聖所に上り主に子どもが授かるように祈り、サムエルを産んだのでした。やがてサムエルが三歳になったとき、乳離れの祝いを済ませ、再びシロへ赴き祭司エリにわが子を委ね、この子を生涯主に委ねると誓ったのがこの言葉でした。ハンナの取った振る舞いには、いささか尋常でない印象をもちますが、子どもを育てるときの親のありようについての示唆を、深いところで与えるものです。
よく「頼みもしないのに産みやがって」と言う子どもがいます。親から「あなたを産みたかったから産んだのだ」と言われて育つなら、自分の存在をより肯定的に受け止めるのではないでしょうか。
「子は授かり物」という言葉はすっかり死語になってしまったかのような感がありますが、子どもはまた親の所有物ではありません。子どもの尊厳を保つのに「子は授かり物」という古典的な考えは現代でも十分に通用する価値観です。
ハンナがどのような思いでサムエルを産み、育てたかを見るとき、これらの親モデルとでもいうべきものを発見するのではないでしょうか。