神はモーセに、「わたしはあるという者だ」と言われ、また「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
出エジプト記3章14節(参考箇所同書3章7〜22節)
モーセがエジプトの奴隷になっているイスラエルの民を導き出すにあたって、神をどのように呼べばよいのかを神御自身に尋ねました。神はそれに対して「わたしはあるという者だ」と言われるのです。旧約聖書のヘブル語原典では多くの神の呼び名が出てきますが、神の呼称というより、神とはどのようなお方であるかをさまざまな角度から捕らえて表現したものです。永遠とか全能とか、神の属性を意味する表現が多く使われています。邦訳聖書の神という言葉は日本古来の神の呼称を借りているのです。もともとの意味は、つまり上(カミ)ということで、聖書的な意味からいえば、少しちがうことになります。
モーセが燃える柴の中から聞く神の名もまた神の呼称というより、神とはなにかを表わす言葉です。神がモーセに「わたしはある」と言われるのは、存在せしめる者ということで、創造者の意味があり、神の本質に触れる言葉です。
けれどもこの神は、じっとしていて地上を眺める神ではありません。「『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされた」とあるように、働きかけるお方です。静的なお方ではなく、神は動的な方なのです。