そこでユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。
マタイ27章5節(参考聖書箇所同書27章3?10節)
しばしばイスカリオテのユダを巡って、彼は赦されたのか、それとも裁かれたのかとの論議を醸し出すことがあります。聖書はこうした判断を軽々しく下すことを避けています。
聖書は、ユダもまた神の計画の中に置かれていたことを告げるのみです。ユダが売り渡した銀貨を神殿に投げ込んだという行為についても、聖書はゼカリヤ書十一章十三節のゼカリヤの故事と関連づけて、神の御心であるとしています。事は神の御計画の中で行われているのであって、究極の答えは神がご存知であるということです。
わたしたちは、ユダの心境をいろいろと想像しますが、結局はよく分かりません。ただ言えることは、最後まで真剣に自分を考えたであろうということです。けっして彼は、いい加減な自分ではあり得なかったことは確かなことです。そして、すべては神がご存知である、このことも確かなことです。わたしたちには分からないけれども、神がご存じなら、神にお任せするのがなによりと思います。すべてをご存知の神が御心のままに計らってくださいます。
世の中には、神だけがご存知のことがあるものです。もしそうであれば、神にお任せするのがなによりと思います。