だから、異言を語る者は、それを解釈できるように祈りなさい。
わたしが異言で祈る場合、それはわたしの霊が祈っているのですが、理性は実を結びません。
では、どうしたらよいのでしょうか。霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう。
さもなければ、仮にあなたが霊で賛美の祈りを唱えても、教会に来て間もない人は、どうしてあなたの感謝に「アーメン」と言えるでしょうか。あなたが何を言っているのか、彼には分からないからです。
あなたが感謝するのは結構ですが、そのことで他の人が造り上げられるわけではありません。
わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。
しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります。