人生は、何かが起こって当たり前【聖書からよもやま話356】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、ペテロの手紙第一の4章です。よろしくどうぞ。

ペテロの手紙第一 4章12節

愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

この箇所にはいわば「クリスチャンとしての心構え」が書いてあるのですが、その一つに「クリスチャンたるもの、試練を喜べ」というようなことがあります。そしてその試練は「思いがけないもの」ではなく、むしろ「あってしかるべきもの」であると。

僕たちはつい「何も起こらないこと」を当たり前に思ってしまいます。しかし実はそれはちっとも当たり前のことではなく、むしろ「何か起こること」の方が当たり前のことなんです。「何も起こらないこと」が当たり前で、何かが起こると「なんでだ!?」と不審に思ってしまいがちなのが人間ですが。

まして僕たちは罪のある人間です。電化製品を、取扱説明書の通りに使わなかったら、当然「何か」が起こります。故障するかもしれませんし、何か危険なことが起こるかもしれません。罪のある人間というのもこれに似ています。「人間の取扱説明書」を無視しているようなものです。ですから当然、何かが起こります。
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説明書と違う使い方をされた電化製品に何かが起こった時、それを不審に思う人はあまりいません。「あぁ、この使い方はだめだったんだな」とわかります。しかし人間自身のこととなると、取扱説明書と違う使い方をしているくせに何かが起こると「なぜだ!?どうしてだ!?やっぱり神なんていないんだ!」とオロオロしてしまうのが人間です。説明書と違う使い方をしていれば電化製品も人間も何かが起きて当たり前、むしろ今日まで何も起こらなかった方が不思議なくらいです。それで神様に文句を言うのは、説明書を無視したくせに「壊れたのはメーカーのせいだ!」と文句を言うクレーマーみたいなものです。

しかしパウロはその起こる「何か」をむしろ喜びなさいと言っています。それは、神様の救いという、いわば「メーカーの保証書」が、クリスチャンには与えられているからです。アフターケアをしっかりと受けると、そのメーカーに対する信頼度も親近感もあがります。同じように神様のアフターケアをしっかり受けると、神様に対する信頼度も親近感も上がります。だから喜んで試練を受け止めて、アフターケアを受けなさい、とパウロは言っているのかと思います。

「人間」という製品のメーカーは神様で、聖書はその取扱説明書。そう考えると人間の罪と聖書の関係がちょっとだけわかりやすくなるような気がします。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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