今さら聖書?今だから聖書。【聖書からよもやま話324】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、詩篇の75篇です。よろしくどうぞ。

詩篇 75篇3節

地とそこに住むすべての者が 揺らぐとき
わたしが地の柱を堅く立てる。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

歴史を眺めれば大きな価値観の転換があった時代というのは何度もありました。ルネッサンスもそうでしょうし、産業革命もそうでしょう。日本で言えば終戦前後にも価値観の大変動がありました。それはどれも昨日まで正しいとされていたことが疑われ、否定され、新しい価値観が提示されるような時代でした。しかし現代ほどの劇的かつ多角的な価値観の転換期というのは、これまでになかったかもしれません。

もしかしたら現代に起こっていることは価値観の変革というよりも、価値観の多様化、多極化と言えるのかと思います。これまで大きな「私たち」によって担われてきた常識や価値観が、一人一人の小さな「私」に委ねられるようになりました。それは決して悪いことではありません。「私たち」の価値観は、一人一人の「私」を置き去りにするからです。価値観の担い手が「私たち」から「私」に変わったことで、個人は社会から人格を取り戻したのだと言えます。

しかし一方で、それまで「私たち」に価値観を委ねていた数多の「私」の中には、「いきなり価値観を自分で決めろと言われても困ります」という人だっています。「これまで決められた道を歩いてきたのに、いきなり自分で好きに歩けと言われてもできません」という人だっています。また、きちんとした土台なしに「私の好きな価値観」を決めて、暴走を始めてしまう人もいます。回転寿司に唾をつけちゃう高校生なんてその典型例です。

そんなわけで、現代社会の価値観はなんやかんやと混乱しています。誰もがグラグラと揺らぐ価値観の上で生きざるを得なくなっています。「みんなの常識」「社会の常識」が通用しなくなったからです。そんな時代には誰もが不安になります。
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しかし神様はそんな時にこそ「私が導くぞ」と言っています。すべての人が揺らぐときにこそ、揺らがない柱をしっかりと立てると言ってくれています。そもそも聖書自体、2000年以上も書き換えられることなく、人間の価値観の変遷の影響を受けることもなく、そこに変わらずに立ち続けている柱です。社会の価値観、個人の価値観は歴史の中でクルクルと変化し続けてきましたが、聖書はそうではありません。そしてもちろん、神様もそうではありません。そしてさらには、人間だって2000年間、変化していません。人間が生み出すものはこの2000年で変わりましたが、人間自体は変わっていません。赤ちゃんが産まれるときの鳴き声は、2000年前も今も変わらないはずです。子どもが走り回って遊ぶときの歓声も変わらないはずです。人間の価値観が変わっても人間自体は変わりません。だからこそ、2000年前からそこにあり続けている聖書が、この不安定な時代にこそ、いよいよ意味あるものなのだと思います。

「今さら聖書なんて」と思う方も多いかと思いますが、本当は「今だからこそ聖書」なのだと思います。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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