痛い思いをする前に行動を改めることが大切【聖書からよもやま話170】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、  ネヘミヤ記の6章です。それではよろしくどうぞ。

◆エゼキエル書 30章19節

わたしがエジプトにさばきを下すとき、彼らは、わたしが主であることを知る。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

さばきを下す前にあなたが主であると知らせてくださいよ、神様!と言いたくなりますよね。でも人間、痛い思いをしないと何事も思い知らないものです。エジプトの王たちは何度も何度も神様を知る機会はあったのに知ろうとしなかったので、痛い思いをもって主の力を思い知ることになってしまいました。エジプトの王に限らず聖書には、何度も神様からのメッセージや警告を受けたのにも関わらずそれを無視し続けて最終的に痛い目にあってしまう人がたくさん登場します。
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「大事なデータはこまめにバックアップを!」って、いろんな人から何度も何度も言われていたのに、「まぁ大丈夫だろう」なんてタカをくくって、ある日突然パソコントラブルで重要データを失った経験が僕にもあります。そんな経験をしてからは、日々ちゃんとバックアップをとるようになりました。痛い思いを避ける機会はいくらでもあったのに、結局痛い思いをするまで行動を改めないのが人間の性質です。

パソコンのバックアップでは痛い思いをしてしまった僕ですが、神様が主であるいうことについては、痛い思いをする前に知ることができてラッキーだったと思っています。神様は「何度も何度も機会は与えてあげるけど、その機会を無視し続けたら最終的には知らないからね。痛い思いをしてから泣いてもダメだからね」という方です。優しくありつつも、厳しい方です。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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