キリスト教の精神と「おかげさま」【聖書からよもやま話3】

今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。

さて今日で三日目【聖書からよもやま話】、
三回目に選ばれたのは旧約聖書、詩篇44篇です。まだまだ手探りでこの先どうなるかわからない企画ですが、今日もよろしくおねがいします。。

◆詩篇44篇3節

自分の剣によって彼らは地を得たのではなく
自分の腕が彼らを救ったのでもありません。
ただあなたの右の手あなたの御腕
あなたの御顔の光がそうしたのです。
あなたが彼らを愛されたからです。

この詩は前半と後半に分かれていて、前半は「神様あなたは私たちの先祖を助けてくれました」と神を讃え、後半は「なのにどうして今、あなたは私たちを助けてくれないのですか」と嘆いています。ですから今回引用した3節は「ご先祖様たちが強かったから勝ったわけではないです。ご先祖様たちだって神様あなたの力によって勝ったのです」という意味です。

人間はどうしても、何かに勝ったり、物事がうまくいったりすると「自分の力で勝ち取った!成功した!」と思いたがってしまうものですが、キリスト教では「自分の力で何かを成し遂げる」というのはあまり良いことだとはされません。世間一般的にはそれは良いことですけれど、キリスト教では違うんです。うまく行ってもそれは自分の手柄ではなく、神様のおかげ。と、こういう風に考えるんです。

でもこれって実は必ずしもキリスト教だけの考え方ではありません。だってここで使った「おかげ」という言葉、漢字で書いたら「お陰」、語源をたどると、「陰の力を貸してもらったから」というような意味で、「自分がたまたま成功したように見えるけれども、これは自分の力ではなく、見えないところで働いている人たちや神仏の力によるものであって、自分の力ではないのです」ということになります。

英語では感謝を表す時に「Thank you」と言います。これを日本語では「ありがとう」と訳しますが、元々の英語の意味をたどると「Thank〜〜」という語は「〜〜によって」というニュアンスの語ですから、厳密には「あなたのおかげ」と訳した方が近いかもしれません。ちなみに神様に感謝を表すときは「Thank God!」と言います。「神様のおかげ!」ですね。ちなみに反対に「ありがとう」を厳密に英訳するなら「Thank you」ではなく、「It is hard to do/be」です。「ある」+「難い」=「ありがとう」ですから、「こんなに良いことは滅多にないよ!」とか「こんなに良い人は滅多にいないよ!」みたいな意味です。

・・・・と、でもしかし。あんまり語源とか厳密な語意とかにこだわると普段の会話とかが非常にしにくくなるので、あんまりその辺は気にせずに「神様のおかげ」これだけ忘れずに今日を過ごそうと思います。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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