4月21日「個人的な名前」

 わたしたちが「個人的な名前」から抽象的なもの、たとえば「レッテル」や「グラフ」や「統計」に移行するようになると、いつでも現実とのつながりが薄くなっていく。つまり「最善の物」を人生の只中で取り扱う能力が弱くなってしまう。にもかかわらず、あらゆる方面から「抽象的なものへと移行するように」という声が勧められる。わたしたちが人生の多くの場面で誠実に生きることよりも、人生の多くの分野で、「社会保障番号を正確に伝えること」の方が「自分の人生を統合して生きること」よりも重要視されている。経済の多くの分野では、「どんな肩書を持っているか」ということが「この仕事をする能力を持っているか」よりも重要視されている。実に様々な状況下において「きっとみんなこう思っている」というイメージのほうが「一人ひとりと具体的に出会い生まれた人格的関係」よりも重要視されている。「人格的なもの」から「非人格的なもの」「身近な個人的なものから非個人的なもの」へ、「身近なもの」から「縁遠いもの」へ「具体的なもの」から「抽象的なもの」へと世の中はわたしたちを押し流して行く。わたしたちはこの流れにながされて行くと、わたしたちは矮小化(わいしょうか)され、小さくなっていく。もし、わたしたちが人間性を保持したいのならば、この流れに逆らって抵抗しなければならない。

イエスが言われた。「羊飼いは歩き、門の前まで辿り着く。門番は羊飼いのために門を開ける。羊は羊飼いの声を聞き分ける。羊飼いは一頭ずつその羊の名前を呼び、そうして外へと連れ出して行く。」
―― ヨハネによる福音書10章2~3節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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