1月14日「悔い改め」

アメリカの歴史の中で特に興味深いものは、19世紀にアメリカにやってきた移民たちの物語である。何千、何万もの人々がヨーロッパでの生活が卑(いや)しく貧しくなり、迫害され、惨めな者となって、そこを去ってしまった。彼らは環境が抑圧の代わりに挑戦の場所があるという情報を得ていた。この物語は多くの家庭で語り継がれ、ドイツ人、イタリヤ人やスコットランド人がアメリカを建国した出来事の記憶を守り続けている。

わたしの祖父は80年前に飢饉(ききん)の只中にノルウェーを離れた。祖母と10人の子どもたちは祖父が戻って来るまでノルウェーに残っていた。祖父は家族と共にピッツバーグに来て、家族を連れ戻すために十分なお金を稼ぐために製鉄工場で二年間働いた。祖父は最初の頃には自分の目的が満たされていたのだが、ピッツバーグに留まらなかった。しかし、祖父は戻ったが、よりよい場所を求めて新しい土地に飛び込みモンタナに旅した。

これら全ての移民の物語には逃避と冒険という相反する側面が混在している。居心地の悪い状況からの逃避である。新しいことに挑戦し、成長し、創造性を発揮するための、よりよい生き方を求める冒険でもある。クリスチャンなら誰でも、このような移民の物語をいくつか持っている。

「わたしは不幸なことだ。メシェクに宿り、ケダルの天幕の間に住むとは。平和を憎む者と共に、長くそこに住むとは。」【詩編120編5~6節】だが、わたしたちはもうそこに住む必要はないのである。クリスチャン移民の最初の言葉である「悔い改め」が、わたしたちを光の中を旅する道へと導いてくれる。それは拒絶であると同時に受容であり、到着へ発展する出発であり、この世に対する「否」であって、神に対する「然り」でもある。

わたしはメシェクに住む運命にある。
呪われて、ケダルに家庭を持ち
わたしの全生涯は喧嘩をする隣人たちと共に
キャンプをしなが暮らす生活である。
― 詩編120編5~6節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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