【哲学名言】断片から見た世界 アウグスティヌスの言葉

はじめまして、philo1985です。このコラムでは、毎回、歴史上の哲学者たちの言葉をひとつ取り上げて、考察を加えてゆきたいと思っています。第一回目は『真の宗教』から、アウグスティヌスの有名な一節を引いてきました。

「外に出てゆかず、きみ自身のうちに帰れ。真理は人間の内部に宿っている。そしてもしも、きみの本性が変わりゆくものであることを見いだすなら、きみ自身を超えてゆきなさい。」

アウグスティヌスにとっての問題は、何もかもが変化してやむことのないこの世界の中で、変わることのないもの、永遠にとどまり続けるものに到達することにほかなりませんでした。私たち人間は一人ずつこの世界のうちに生まれ落ちては老い、病み、そして死んでゆきます。たえず移ろいゆくこの世のただ中にあって、決して揺らぐことのない生のかたちに辿りつくことは、はたして人間に可能なのだろうか。そのような探求の果てにアウグスティヌスが出した答えが、上に掲げた「外に出てゆかず、きみ自身のうちに帰れ」だったのです。

私たちの時代はまるで「外に出てゆこう」を合言葉にでもしているかのように、たえず目まぐるしく何かを追いかけつづけています。本当のつながりを生む言葉のやり取りのかわりに動員というコミュニケーションの形が支配的なものとなり、数の論理がいたるところで幅を利かせています。その結果、本来は及んではならないはずのところにまで数の力が及ぶようになり、私たちの心は窒息しかかっています。たえず目に見えるものへと、せわしない外の世界の方へと人を駆り立ててゆくこの力の勢いは今日、ますます押しとどめがたいものになりつつあると言えるかもしれません。けれども、本当にそれでよいのだろうか。人間には、それとは別の生き方をすることも可能なのではないか。

アウグスティヌスの言葉は、「外に出てゆかず、きみ自身のうちに帰れ」と語っています。この世の物事は私たちの体を滅ぼすことはできても、魂まで滅ぼすことはできません。生きる上で最も大切なことは、外側にはほとんど現れてはこないということもありうるのではないか。他の誰にも気づかれることがなくとも、目に見える形や、分かりやすい数字になって表れることがないとしても、本当に大切なものはおそらくはいつでも、私たちを目立たないところで待ち続けている。それは真理であるとか、永遠であるとか、言葉にするとすれば、日常のうちではほとんど口に出されることすらないものになってしまうかもしれないけれども、私たちの生は、本当は、そうした言葉たちが指し示すものの方から意味を与えられているのではないか。無理をして、あせって世の中に調子を合わせる必要はない。むしろ、内へ帰ること、心が深いところから求めているものの方に向かって一歩一歩ゆっくりと、しかし、着実に進んでゆくことの方こそが……。

古代ローマの末期を生きたアウグスティヌスが生涯をかけて追い求め続けたのは、このような「魂の絶対者への内的超越」の道にほかなりませんでした。多くの哲学者たちに示唆を与えたことでも知られる上の一節は、哲学の伝統が生んだかけがえのない遺産として、二十一世紀初頭の今日でもなお読まれ続けています。

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