2月9日「畑に宝が隠されている」

天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。(マタイによる福音書13章44節)

主イエスは天の国を、畑の中に隠されている宝に譬(たと)え、これを見つけた人は喜び、自分の持ち物を売り払って、その畑を買うのだと話された。天の国は義と愛の神が支配するところである。それは終わりの日に完全に現れるが、すでに私たちの所に来ているので、これを見出すことができる。天の国という宝は隠されているが、人はこれを信仰によって見出すことができる。そして、見出した者には、天の国は全財産を売り払うだけの値打ちがある。

天の国が宝である理由は、第一に、ここに「罪のゆるし」があるからである。主イエスが私たちの罪のために死んでくださったので、私たちは罪を赦(ゆる)されて、神に義とされる。そして、神を父と呼び、神に信頼する人生の祝福を得る。

第二に、ここに「神の愛」があるからである。主イエスによって現れた神の愛は、苦しい時も悲しい時も、私たちから離れることのない全き愛である。

第三に、ここに「永遠の命」があるからである。この世で生きる時、そして、死ぬ時も、永遠に主イエスと結ばれている命である。それゆえに、私たちは死の陰の谷を行く時も、安心である。

宝を発見した人は喜んで自分の持ち物を売り払った。そのように、「天の国」を見出した者は、この宝のために自分のものを注ぎ込む。キリスト者は天の国の祝福にあずかって、喜んで神の栄光のために、自分の持ち物、賜物を捧げて神の御心を行う。福音の宝を発見しても、これに自分を賭けず、持てる物を注ぎ込まないなら、いつか宝の価値が分らなくなるであろう。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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