ギロチンの導入は死刑廃止への第一歩だった?

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◆1792年4月25日 フランスでギロチンでの処刑が採択された日

ギロチンでの処刑は現在では残酷な刑罰の代名詞のようなイメージで捉えられていますが、この方法をはじめに採用した理由は「残酷な刑罰を避けるため」でした。

ギロチン以前のフランスでは、受刑者の身分によって死刑の方法が異なっていました。比較的苦痛が少ないとされる断首で処刑されるのは貴族階級だけで、平民は良くても縛り首、場合によっては八つ裂きなどの刑に処せられていました。断首の場合も処刑人の技量不足で切り損ねた場合などは多大な苦痛を伴いました。確実に苦痛なく処刑されるには、腕のいい処刑人を雇わねばならず、それができるのは貴族でもごく一握りでした。

これを問題に思ったのがギヨタン博士という人で、イエズス会で人文を学んだ人でした。彼は「人の死は平等でなくてはならない」と考えました。死を前にすればあらゆる人は平等であるというのは聖書の教えることにも沿うことです。
そこで、すべての人が最高級の貴族と同じように尊厳を持って、必要以上の苦痛なく処刑されるためのシステムとして、ギロチンの開発と導入を提案しました。また、彼は最終的には死刑制度の廃止することを理想としていました。死刑廃止に向けての第一歩として、まずは残酷な死刑を廃止するという意図でギロチンが提案されたんです。

「死刑の象徴」とさえ思えるギロチンを、死刑廃止論者が採用したというのは意外な話です。

それではまた明日。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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