【インタビュー】衆議院議員・石破茂氏 「自分だけが正しいのではなく、お互いを受け入れ合うことが争いをなくす第一歩」

 

クリスチャン議員である石破茂(いしば・しげる)氏を8月30日、渡部信(わたべ・まこと、クリスチャンプレス発行人)と山北宣久(やまきた・のぶひさ、前日本基督教団総会議長)氏が衆議院第2議員会館の石破茂事務所でインタビューした。石破氏は多忙なスケジュールの中、疲れた表情一つ見せず誠実に応じてくれた。

左から山北宣久氏、石破茂氏、渡部信=8月30日、衆議院第2議員会館(東京都千代田区)の石破茂事務所で

──クリスチャン議員として、どのような思いで政治に向き合っておられますか。

私は、神様の前に自分の至らなさ、誤っているところをお詫び申し上げるようにしています。そして、「過ちを正してください」、「ご用のために用いてください」という思いでお祈りしています。

──特に政治家として強調したい点は。

ヨーロッパにしろ、アジアにしろ、米国もそうですが、同じ信仰を持つ人は多いはずです。にもかかわらず、世の中は争いが絶えない。いかに争いをなくしていくか。いかに互いが神の前には無力であることを共通認識し、自分だけが正しいという思いを持たず、弱い人のために働き、祈ることができるか。それをできるだけ共有したいと思っています。常にこの思いをもって、平和な世界を作りたいと考えています。

──世界にはさまざまな緊張が存在します。日本が韓国などと平和外交するためにはどうすればいいと思いますか。

韓国の近現代史、韓国と日本が過去にどういう関係にあったのかを知らないまま、外交努力をしても説得力がありません。慰安婦問題、領土問題など、一致できない点もありますが、共にやれることもたくさんあるはずです。韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権と共にできることは何なのか。これを考えていくことが重要だと私は思います。

たとえば、世界的に児童虐待が大きな問題になっている中で、まだ国連には「児童虐待をなくす日」というものがありません。キリスト教界が協力し、日本と韓国でそのような日を作るような動きがあり、これなども協力の一端となるのではないでしょうか。

──最後に、日本のクリスチャンに向けてメッセージを。

「共にお祈りください」とお願いをしたいです。

共に祈る=8月30日、衆議院第2議員会館(東京都千代田区)の石破茂事務所で

予定時間を過ぎても、事務所の本棚からキリスト教関係の書籍を手に取ったり、時に笑いをまじえ、終始なごやかな雰囲気の中でインタビューが行われた。

渡部発行人が「日本のキリスト教を代表する政治家になってほしい」と言うと、石破氏は「私はそんな立派なものではありません」と謙遜。「わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか」(エレミヤ32:27、口語訳)と書かれた色紙を渡すと、「この聖句は読んだことがありましたね」と石破氏は喜んで受け取った。

「『地の塩、世の光』として、祈り祈られながら共に難局を乗り越えていきましょう」と山北氏がエールを送り、最後に、「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け、わたしの救いの右の手であなたを支える」(イザヤ41:10)と、祝福の祈りをささげた。

石破氏は4代目のクリスチャン。母方の曾祖父が、新島襄の愛弟子である金森通倫(かなもり・みちとも、1857~1945)。熊本バンドの一人として熊本洋学校から同志社へと進んだ。卒業後は日本組合基督教会・岡山教会の牧師を務め(1880~86)、40代でいったん棄教するものの、その後、救世軍やホーリネス教会で活躍。晩年は湘南の葉山の洞窟で暮らすという数奇な人生を歩んだ。

金森の妻、旧姓・西山小寿(こひさ)は神戸英和女学校(現在の神戸女学院)の第1期生で、岡山の山陽英和女学校(現在の山陽学園)の創立者の一人(初代専任教師)。二人の間にできた長男、太郎が石破氏の祖父で、その長女の和子が石破氏の母親となる。父親は鳥取県知事から参議院議員になった石破二朗氏。

石破氏は、母親が通っていた日本基督教団・鳥取教会(現在は橋原正彦牧師)において18歳で洗礼を受けた(現在も現住陪餐会員)。同教会の宣教師によって始められた愛真幼稚園に通い、鳥取大学教育学部付属中学を卒業後、慶應義塾高等学校に進学。日本キリスト教会・世田谷伝道所(現在の世田谷千歳教会)に出席し、教会学校の教師も務めた。近年は国家晩餐祈祷会(日本CBMC主催)、キリスト教関係の講演会でゲストとしてスピーチに立つことも多い。

 






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