太宰治が入院中に手にした聖書 神奈川近代文学館で公開

 

太宰治(1909~48)が入院中に手にし、肉筆の書き込みをした聖書が、神奈川近代文学館(横浜市中区)で来年1月20日まで公開されている。

入院中に借りた聖書に書かれた太宰の肉筆(写真:神奈川近代文学館提供)

1935年、太宰は第1回芥川賞候補となるが、落選。翌年、パビナール(麻薬性鎮痛剤)中毒がひどくなり、多いときには1日50本も注射するほどになった。そのため、親族により東京武蔵野病院に1カ月間、強制入院させられることに。そこで同様に入院していた医師、斎藤達也氏から黒崎幸吉編『新約聖書略註 全』(四六判、日英堂書店、34年刊)を借りたといい、「入院中はバイブルだけ読んでゐた」と太宰自らも書いている。

それは、1936年11月26日付の鰭崎潤(ひれさき・じゅん)宛ての書簡においてだ。クリスチャンの友人だった鰭崎は、無教会の塚本虎二(つかもと・とらじ)による雑誌「聖書知識」を太宰に貸すなど、太宰の聖書理解に大きく関わったとされる。その入院中に太宰が読んでいたと思われる聖書を、斎藤氏の遺族が9月、同館に寄贈したことから、このたびの公開となった。

まず、本の見返しに墨書で、短歌「かりそめの人のなさけの身にしみてまなこうるむも老いのはじめや 治」と書かれている。太宰が入院中のことを日記形式で書いた「HUMAN LOST」の11月8日の日付のところにも同じ歌がある。

その下に黒インクで、「聖書送つてよこす奥さんがあれば僕もも少し笑顔の似合ふ顔に成れるのだけれど 太宰治」とある。「奥さん」と書かれた内縁の妻の小山初代(おやま・はつよ)が自分の入院中に浮気をしていたことを知り、翌年、水上温泉で初代と共にカルモチン自殺をはかるが未遂に終わり、離別することになる。

「HUMAN LOST」には次のような記述がある。

聖書一巻によりて、日本の文学史は、かつてなき程の鮮明さをもて、はっきりと二分されている。マタイ伝二十八章、読み終えるのに、三年かかった。マルコ、ルカ、ヨハネ、ああ、ヨハネ伝の翼を得るは、いつの日か。

そして、文語訳(大正改訳)のマタイ伝5章44~48節の引用をもって締めくくられる。

汝(なんじ)らの仇(あた)を愛し、汝らを責むる者のために祈れ。天にいます汝らの父の子とならん為(ため)なり。天の父はその陽(ひ)を悪しき者のうえにも、善き者のうえにも昇らせ、雨を正しき者にも、正しからぬ者にも降らせ給(たま)うなり。なんじら己(おのれ)を愛する者を愛すとも何の報(むくい)をか得(う)べき、取税人も然(しか)するにあらずや。兄弟にのみ挨拶(あいさつ)すとも何の勝ることかある、異邦人も然するにあらずや。然(さ)らば汝らの天の父の全きが如(ごと)く、汝らもまた、全(まった)かれ。

問い合わせは045・622・6666(神奈川近代文学館)。

 






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