田河水泡さんのこと 渡辺正男 【夕暮れに、なお光あり】

牧師として最初に仕えた教会は、小田急線玉川学園前駅に隣接した玉川教会でした。教会員に漫画『のらくろ』の田河水泡さんがいました。苦労人で人情の厚い田河さんは、新米の私を何かと応援をしてくれました。後に、田河さんが90歳で亡くなった時、『信徒の友』誌に感謝の追悼文を書かせていただきました。その田河水泡さんのことを少しお話ししたいと思います。

漫画『のらくろ』に、こんなエピソードがあります。日曜日、外出許可がおり、仲間の兵隊たちはみな家族の所に帰っていく。「のらくろ」には親も家もなく帰るところがない。ひとり残された「のらくろ」の目から涙がポロリとこぼれる――すると、子どもたちから「今度の日曜日はボクの家にお出でよ」と投書が殺到したという。

「のらくろ」(野良犬黒吉の略)は、田河さんの分身ですね。「冬をすぎてきた人」(潤子夫人の言葉)である田河さんの、人の痛み悲しみを深く知る優しさが「のらくろ」ににじみ出ているのです。

「帝国軍人を『のらくろ』呼ばわりするとは何事か」とにらまれましたが、田河さんは譲りませんでした。ただ、「憲兵の脅しに委縮して、ひと頃、軍に迎合する漫画を描いてしまった」と、つらそうに話してくれたことがあります。

田河さんは、弟子の長谷川町子さん、潤子夫人と続いた信仰のバトンを受け継ぐようにして、53歳の時に洗礼を受けました。洗礼の時の思いをこう記しています。「信仰というのは頭の問題ではなくて、肚(腹)の問題なのだと気づいて、肚で信じることにしたのだ」(『私の履歴書 芸術家の独創』日本経済新聞社)。

当時の玉川教会の会堂は、古びた小さな建物で、トイレは会堂の後ろについていました。そのトイレの掃除を田河さんが毎週のように担ってくれました。玉川学園の街の大通りを、掃除道具を担いで闊歩する田河さんの姿をよく覚えています。

田河さんは『人生おもしろ説法』(日本キリスト教団出版局)に、「私は……信仰態度はぐうたらです」と語った後、でも「びりでもいいから、ゴールまで完走しようと心に決めています」と述べています。

深酒することも、横道にそれることもあった。でも、田河さんは90歳の12月に「いい人生だった」とつぶやいて、信仰の歩みを全うしたのでした。

田河水泡さんに倣って「びりでもいいから」、信仰の歩みを何とか完走したいですね。

 「自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか」(ヘブライ人への手紙12:1)

 

わたなべ・まさお 1937年甲府市生まれ。国際基督教大学中退。農村伝道神学校、南インド合同神学大学卒業。プリンストン神学校修了。農村伝道神学校教師、日本基督教団玉川教会函館教会、国分寺教会、青森戸山教会、南房教会の牧師を経て、2009年引退。以来、ハンセン病療養所多磨全生園の秋津教会と引退牧師夫妻のホーム「にじのいえ信愛荘」の礼拝説教を定期的に担当している。著書に『新たな旅立ちに向かう』『祈り――こころを高くあげよう』(いずれも日本キリスト教団出版局)、『老いて聖書に聴く』(キリスト新聞社)、『旅装を整える――渡辺正男説教集』(私家版)ほか。

長谷川町子生誕100年 記念館7月にオープン 苦難の時代にこそ「日常」を 母譲りの信仰と意外な関係 2020年12月25日

 

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