9月5日 ゼファニヤ書3章17節

主はお前のゆえに喜び楽しみ、愛によってお前を新たにし、お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。
ゼファニヤ書3章17節(参考箇所同書3章1〜20節)

ゼファニヤはアモス、イザヤ、ミカを継承し、ユダ王ヨシヤ(前639〜609年在位)の時代の預言者。彼はマナセ王(前687〜642年在位)の時に導入されたアッシリアの魔術や天体礼拝などがエルサレムにまで入り込んできたこと(列王記下21章)を弾劾し、ヨシヤ王の宗教改革(列王記下22章以下)の前触れの役割を果たしたのでした。

彼はエルサレムを「災いだ、反逆と汚れに満ちた暴虐の都は」(1節)と言い、聖なる都の面影は失われ、役人、裁判官、祭司に至るまで堕落しているさまを断罪します(3〜4節)。

その中にあってエルサレムに「苦しめられ、卑しめられた民を残す。彼らは主の名を避け所とする」(12節)と神は言われるのです。イザヤのいう「残れる者」を指しているのです。彼らは少数者です。しかしながら彼らの存在は神の喜びです。「主はお前のゆえに喜び楽しみ、愛によってお前を新たにし、お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる」とゼファニヤは言います。

この国において、わたしたちが少数者として信仰の灯を掲げているのなら、このゼファニヤの言葉を透して、少数者なるがゆえに神の喜びとされていることを思うべきでしょう。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

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